浅川黒沼神社の来歴
一 黒沼神社伝記
(表紙)
「天正十七(1589)丑三月 政宗公江差上候控
当社伝記控
当社祠官 斎藤家」二 黒沼神社縁起
(前略)天正の戦同十七(1589)年丑四月、伊達政宗卿近隣発向、当社江御祈誓ありて願望成就有し故、宮社江御幕壱張九曜御紋并田地の検書を給ふ、神主江ハ太刀壱腰同櫃共拝領、藤原の性を給わる、然る処享保二(1717)年酉三月火災に付記録焼失仕候(中略)
右御先祖伊達郡桑折御舘ニ被遊御座候御時、天正十七(1589)年丑四月、御大将藤原朝臣左京太夫兼陸奥守山蔭 支流政宗公、当所御発向之砌、当社御垣の辺ニ被為有御 座、御軍之労を為息給ふ時、御祈誓被遊候処、御感応有之故、御饌料として田地之検書給ふ、并御幕壱張九曜之御紋附鱗付御寄附有之候而、只今御本殿所々江九曜鱗彫刻仕置候事顕然之処ニ御座候、神主江ハ御太刀一腰同櫃共拝領仕候、御軍之度毎御垣江籠らせ給ふ、亦陣場与申処有之、彼処御陣居被遊、此辺愛宕舘(福島市松川町水原字愛宕に愛宕舘がある。あるいは同町字愛宕山の八丁目城を指すか)・貝吹舘(同町浅川字貝吹舘)・木曽内舘(不明。同町字木曽内の南にある土合舘をいうか)・駒米舘(駒米舘=福島市立子山字駒込)・大舘(同字大舘山)右五ヶ所落舘勝利被為得候、記録并頂戴之書附等昔年之由緒茂御座候得共、享保二(1717)年火災之節焼失仕候故、是迄御届不申上罷有候、御幕壱張九曜御紋附并刀櫃相残罷有宝物ニ備置候(後略)
『福島市史資料叢書 第78輯(明石家記録)』
浅川黒沼神社へのアクセス
- 〒960-1245 福島県福島市松川町浅川宮本4
- JR東北本線「松川駅」よりバスで「寺屋敷」下車、徒歩7分
- 東北自動車道「福島松川スマートIC」より車で9分