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町指定史跡 岩崎山金窟址

遠刈田温泉の西側に位置し、仙台藩により採掘が行われていたという鉱山跡で、刈田嶺神社に伝わる来歴には、政宗が仙台城を築くにあたって採掘したと記されている。

町指定史跡 岩崎山金窟址の来歴

仙台封内名跡志

岩崎金窟址

往昔出金之古窟也、近于湯刈田、其石堅剛如銅如鉄、石色朱紫黒碧青黄相雑、慶長中出黄金、有水脈而不克穿故息、是地乃其時鑿師之所穿、縦横屈曲、上下相貫、左右相通、奇巧妙術、彷徘蜂房相聯、而恰其跡如神、

『大日本史料 第12編之5』

三金峯山界縁并東嶽温泉来歴

奥州苅田郡東嶽温泉之縁起

(前略)慶長年間至藩大守仙台ノ府ニオ井テ新ニ金城ラ築キ給フ砌リ、其費用ノ金ヲ当山ノ神ニ請奉ツル、権現則チ納受アツテ巨萬ノ黄金ヲ鑿得玉フ、后世コノ金精キハメテ世ニ勝レタルヲ以テ称誉〆慶長金ト云へリ、此トキヨリ〆人家立連子温泉大ニ発起ス、今ニ至ル迄旧家三軒相続シ互ニ温泉ヲ護〆繁昌ス、(後略)

『蔵王町史 資料編1』

刈田郡誌

【岩崎金窟址】名跡志に曰く、往古金を出すの古窟なり、遠刈田に近し。其石堅剛の如く鉄の如く、石色朱紫黒碧青黄相雑はる。慶長中黄金を出す。水脈あり。而して穿つ能はず、故に息む。此地乃ち其時鑿工の穿つ所縦横屈曲上下相貫き左右相通す。奇巧妙術蜂房を相聯す。其址恰も神の如し。伝云、伊達政宗公、青葉城建築費は此金を以て支弁せられたるものなり。と。

【籠山】 遠刈田温泉西数町蔵王登山道右側にあり。金売橘次が金鉱を掘出したりと云ふ伝説を有するところにして奇岩数丈の絶壁に、奇巧妙術蜂房を相聯するの状籠山の名ある所以なり。麓の大坑の入口に地蔵尊の石像あり。王朝時代の彫刻らしと識者は云へり。大正十二年春この地に観音講生れ、三十三観音をこの奇岩壁の各段各所に奉納す。一の名所なり。

『刈田郡誌』

蔵王町指定史跡

岩崎山金窟址

岩崎山は遠刈田温泉の西側に位置する岩山で、金や銅などの鉱脈を含んでおり、江戸時代の初期(1645年頃)には、仙台藩の金山として採掘が行われていた。しかし、その歴史は長くは続かず、江戸時代の中期(1750年頃)には、廃坑になって久しい忘れられた金山であった。その理由は定かではないが、一説には坑内で大量の出水があり、やむなく廃坑となったともいわれている。

当時の採掘法は、金の鉱脈をたどって地下を縦横に掘り進む、狸掘り(たぬきぼり)と呼ばれるもので、細い鉱道が無数に交差するさまが、あたかも竹かごの編み目のようであることから、籠山(かごやま)という別名がつけられた。体がやっと入るほどの狭い坑道はすべて手堀りであり、当時の坑夫たちの苦労を物語っている。

指定年月日 昭和53年11月20日

平成11年3月31日設置
碳王町教育委員会

『現地案内板』より

町指定史跡 岩崎山金窟址へのアクセス

  • 〒989-0916 宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉
  • JR東北本線「白石駅」よりバスで「遠刈田公民館前」下車、徒歩3分
  • 東北自動車道「白石IC」より車で23分

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