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尾山城(金津城)跡

天正十年八月、相馬氏と対戦していた伊達輝宗・政宗父子が角田城を出陣、当地に二十日間ほど在留し、矢ノ目館へ陣を移した。

尾山城跡の来歴

天正十年(1582)八月条

○八月己酉大 公政宗君伊具郡角田城ヨリ同郡金津ヘ御出馬廿日許リ御在留其後小斎ノ内矢目ヘ御陣ヲ移サル時ニ相馬殿ハ小斎金山ノ境明護山ニ備ヲ立ラル仍テ小斎城辺ノ山ヲ御陣城トシ給ヒテ相備ラル此節二本松主畠山右京大夫殿義継塩松城主大内備前定綱各人数ヲ率テ参陣セラル

『性山公治家記録 巻之四』

仙台領古城書立之覚

尾山村

一古館 東西三十一間 南北二十三間 七百十三坪
右城主開基城ノ名共不相知候古城而已申伝候由ニ御座候

『宮城縣史32 資料篇9』

藤尾村郷土史 九、名所、旧跡、伝説

【金津城】

相馬氏の城けるものにして今の尾山小学校付近にありたるものの如く廃城の年代詳ならず。

※尾山小学校はのちの金津中学校で、角田中学校との統合により令和四年(2022)三月三十一日に閉校となる。

※一旦閉校となった金津中学校だが、一年をかけて改修工事を行い、令和5年4月より新たに金津小学校として開校。

『伊具郡誌』

尾山城跡へのアクセス

  • 〒981-1502 宮城県角田市尾山荒町
  • 阿武隈急行「角田駅」より車で11分
  • 常磐自動車道「山元IC」より車で8分

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