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勝楽山 高蔵寺/高蔵寺阿弥陀堂

奥州藤原氏三代秀衡の妻女によって建立されたという県内最古の木造建造物で、本尊の阿弥陀如来坐像とともに現存する。

勝楽山 高蔵寺の来歴

宮城県南部、阿武隈川下流域にあり、旧伊具郡の北半分を占める伊達氏一門石川氏の城下町、角田市。市域西部、西根や隈西と呼ばれる阿武隈川西岸の山間に旧伊具郡高倉村(現角田市高倉)があり、東流する高倉川沿いの四方を丘陵に囲まれた盆地には、徳一開基伝説を残す寺院、勝楽山 高蔵寺があります。

高蔵寺は「奥羽観蹟聞老志」所載の棟札によれば、嵯峨天皇の弘仁十年(819)徳一菩薩建立とあり、平安末期の治承元年(1177)奥州藤原氏や安部氏の寄進で伽藍の修理が成され、その際、三代藤原秀衡の妻女を願主として、阿弥陀堂並びにその翌年に本尊の阿弥陀如来坐像が造立されたと推定されています。

本尊の阿弥陀如来は、欅の寄木造で総高5.14㍍になる堂々たる仏像で、来迎引接印を結び、元は金箔が押してありました。須弥壇もなく床に直接置かれ、光背は船底天井いっぱいになるなど、堂と本尊の釣合が取れない事から、後世何らかの理由により、創建期の本尊仏が現本尊仏と交代したとみられています。

本尊の阿弥陀如来像とともに国の重要文化財に指定されている阿弥陀堂は、平泉文化の流れを汲み、中尊寺金色堂、いわき市の白水阿弥陀堂と並ぶ古建築として知られ、堂内には本来の御堂の荒廃の様子が偲ばれる客仏の破損像のほか、二体の菩薩型立像及び持国天像と見られる一体の天部像も残されています。

高蔵寺境内は、広大な往時の名残を留め、地名や出土品等から、入の坊、清水堂、大門坊の三坊を有し、浄土庭園もあったと想定されています。参道脇には樹齢550〜800年の「高蔵寺の大杉」が一対で生え、本堂裏手には樹齢300〜400年の「高蔵寺カヤの群生林」があり、ともに県の天然記念物となっています。

また、松島瑞巌寺には、伊達政宗次女牟宇姫が、亡き父政宗の深恩に報いるため延宝三年(1675)七月二十四日に奉納したという直筆の法華経八巻が伝わっていましたが、近年、同様の法華経八巻が、この高蔵寺にも伝わっていたことが判明、写経の日付は瑞巌寺より早い延宝三年三月吉日であったといいます。

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勝楽山 高蔵寺へのアクセス

  • 〒981-1516 宮城県角田市高倉寺前49
  • 阿武隈急行「角田駅」より車で12分
  • 東北自動車道「白石IC」より車で20分
  • 常磐自動車道「山元IC」より車で22分
  • 専用駐車場あり

参考文献

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
  • 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
  • 宮城県寺院総覧編纂会編(1975)『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会/山形.
  • 角田市史編さん委員会編(1984)『角田市史1 通史編(上)』角田市.
  • 角田市史編さん委員会編(1986)『角田歴史読本 角田市史 別巻Ⅱ』角田市.
  • 角田市郷土資料館編(2016)『伊達政宗公の次女 牟宇姫ものがたり』角田市.

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