「仙台市史 資料編(10〜13)伊達政宗文書(1〜4)」および「市史せんだい」収録の補遺、「仙台市博物館調査研究報告」収録の新補遺の中に含まれるすべての「口切文言」をまとめました。
令和6年(2024)3月時点で「口切文言」が含まれる総数は25通、その前後に口切茶事が行われたことを窺わせるものを含めるとさらに増え、年代未詳×1通、文禄年間×2通、元和年間×8通、寛永年間×14通で、晩年になるにつれ増えていく印象です。
くち‐きり 【口切】
(2)陰暦一〇月の初め頃に、夏から封じておいた新茶のつぼを初めてあけること。また、その茶で催す茶会。《季・冬》
*日葡辞書〔1603~04〕「CUCHIQIRI (クチキリ)〈訳〉茶の壺を初めてあけること」
*咄本・醒睡笑〔1628〕八「後陽成院の御時、御口切(クチキリ)とて、御壺出でたりつるを、雄長老、御前にてちゃくと歌よむ壺なれば口をはられて物もえいはず」
*浮世草子・日本永代蔵〔1688〕六・四「茶の湯は出さねど口切前に露地をつくり」
*俳諧・深川〔1693〕支梁亭口切「口切に境の庭ぞなつかしき〈芭蕉〉 笋見たき薮のはつ霜〈支梁〉」
『日本国語大辞典』
茶壺
葉茶を貯蔵,運搬するための壺。茶の湯では,11月になると宇治の茶園から届けられた,その年の初夏に摘んだ新茶を詰めた茶壺の口封を切って葉茶を取り出し,ただちに茶臼で碾(ひ)いて粉末にして,茶を喫する。この行事を〈口切(くちきり)の茶事〉と称してきわめて重要視されている。抹茶の場合,その年の新茶は,壺の中に入れ山頂の冷処において夏を越させるのがよいとされるが,これは茶壺にほどよい通気性があって葉茶の熟成を助けるものと考えられていたからである。また口封を切ってから1年間,茶壺は葉茶を保存するための容器として機能した。(後略)
『世界大百科事典』
資料集別
伊達政宗文書1
- なし
伊達政宗文書2
- 【948】文禄二年八月十四日付 屋代勘解由兵衛景頼ヵ宛書状
「一帰朝候者、聚楽にて、茶の口きりあるへく候」 - 【1026】(文禄五年)後七月十日付 山岡如軒宛書状
「見事之炭三荷、贈給候、口切時分も軈而ニ候へハ、一入忝存候」 - 参考【1314】(慶長十六年)初春十三日付 古田織部正重然宛書状
「十六日朝御先約被相延、御茶可給之旨紹高(細川全隆)ゟ申来候」
※古田織部が主宰した口切の茶会の記録『古織会附』には、政宗が慶長十六年正月十六日朝の茶会に招かれたことが記されている。 - 参考【1332】(慶長十七年)壬十月六日付 和久宗是宛書状
「尚々、壺参候間、近日御茶可申候、かしく」 - 参考【1382】(慶長十八年)三月十日付 小沢瀬兵衛忠重宛書状案
「昨日者宮内殿御同道之由、他行仕御残多候、仍壺共渡申候、乍次半袋五ツ進候、御手前之御茶程者御座有間敷候へ共進候」 - 参考【1384】(慶長十八年)三月十日付 山岡五郎作景長宛書状案
「一所々江御茶被進之事、御案文留、今度播州へ俄御出、御太儀ニ候、然共壺共渡申候間、乍次極半七ツ色々を進候」 - 参考【1386】(慶長十八年)三月十日付 辻忠兵衛久吉宛書状案
「昨日者早々懸御目候、仍而壺渡申候、乍次茶半五袋色々進候」 - 参考【1388】(慶長十八年)三月十日付 上林徳順勝永宛書状案
「年々ゆかこの壺の茶 上様(徳川秀忠)へ進上申候、かくれかの壺ノ茶も歴々之御方申候間、二ツ共ニ無差別能茶頼入候」 - 参考【1389】(慶長十八年)三月十日付 教学院(今大路祐知)宛書状案
「一書令啓候、如年々今度壺共為相上申置候所、被入御念可預候、上方無事之由珍重ニ存候」 - 参考【1679】(年代未詳)夏首(四月)十九日付 古田織部正重然宛書状
「長井所ニ而、いつ比、茶詰申候哉、自然御越候者、同道申度候」 - 参考【1715】(慶長十年前後ヵ)正月十四日付 上林味卜紹喜宛書状
「今度壺之儀ニ有道為相上申候、当年之茶、留守之事候間、定而色も味も悪茶、可被詰与存事候、猶被入念可給候」 - 参考【1824】(慶長十八〜九年頃ヵ)極月十七日付 某宛書状
「先刻者御状、茶壷□[ ]不能即報、御手前物近ニ[ ]又土山御築□御大義共候」
伊達政宗文書3
- 参考【1971】(元和四年)閏三月九日付 上林彦兵衛景近宛書状
「一書令啓候、漸時分ニ候間、壺共為相上候、其方茶去年別而能候、就中、此中於 御城詰合之御茶共ひかせられ」 - 参考【1972】(元和四年)壬三月十一日付 某宛書状
「今朝者種々申承、本望候、然者壺為御上候ニ付而、(中略)宇治ニ其隠有間敷候、茶之様子者半袋極壱斤之内、昔むし二三袋、其外常之むし与煎茶をも少加候得与申遣候」 - 【2006】(元和四年)九月九日付 土井大炊助利勝宛書状案
「爰元ニ御座候得共、不慮ニ至来仕候間、真鶴一貴老江進申候、漸口切之時分ニ罷成候」 - 【2017】(元和四年)十月朔日付 内藤外記正重宛書状案
「我等留主居之者ニ被仰可有御受取候、其衆漸口切之時分にて御浦山敷候」 - 【2018】(元和四年)十月朔日付 柳生又右衛門宗矩宛書状案
「漸口切之時分与御浦山敷存候、爰元ニも座敷仕候へ共、相手無之候而迷惑申候」 - 参考【2061】(元和五年)八月廿二日付 織田有楽斎長益宛書状案
「茶之事申入候処に、即預候、忝候、明朝之数奇、是ニていてかし可申候、(中略)追而、ちやはこ(茶箱)返進仕候」 - 【2211】(元和六年)九月朔日付 細川内記忠利宛書状案
「薩州御参会之砌、御物語可被成候、漸口切之時分ニ成申候、此方客人無御座候間、数奇をも不仕候」 - 【2213】(元和六年)九月朔日付 内藤外記正重宛書状案
「漸口切之時分ニ而、御浦山敷存候、此方客人無之候而、数奇をも不仕候」 - 【2235】(元和六年)九月廿四日付 藤堂和泉守高虎宛書状案
「漸御口切之時分ニ候へ共、客人無御座候而、小性(姓)共と茶をたて可申与、おかしく存候」 - 参考【2280】元和七年八月六日付 安部正左衛門尉宛漆植付等黒印条目
「一新茶之御年貢、三年・四年目より古茶ゑんの拾分一、五年目より本年貢ニ取可申事、以上」 - 参考【2312】(元和八年ヵ)卯月廿一日付 柳生又右衛門宗矩宛書状
「今朝者閑談、本望候、仍而紹高茶入水不入に百枚に取[ ]唯今其方迄、金子為持可[ ]日柄能候」
※紹高肩衝(しょうこうかたつき)は、細川紹高所持の茶入。 - 参考【2377】(元和九年)二月廿三日付 上林峯順勝盛宛、ほか四名宛書状案
「当年茂壺為相上可申候間、茶之義、入念可給候、去年者、早摘之茶三袋宛慎入候而、別而大慶ニ存候」 - 【2405】(元和九年)八月晦日付 内藤外記正重宛書状
「一壺之口切仕候、公方様へ如毎年御茶一袋進上申度候、(中略)一御先約無之候者、明後二日之朝、口切ニ貴殿申請度候」 - 【2458】(寛永元年)九月九日付 酒井雅楽頭忠世宛書状案
「仍口切可被成与御浦山敷候、爰元ニ客無御座候而、数奇をも不仕躰候」 - 【2552】(寛永二年ヵ)九月廿七日付 土井大炊頭利勝宛書状
「水戸様へ参候而、御報不申候、口切之御茶進上申候所、仕合能あかり申之由、御取成故与忝候」 - 【2563】(寛永二年)十月十二日付 酒井阿波守忠行宛、ほか四名宛書状案
「来十八日之朝、口切之義ニ候間、是非共御出可忝候」 - 【2574】(寛永二年)十月十七日付 伊達筑前守宗信宛書状案
「口切之茶為相上候、依之樽肴祝着候、頓而可令賞味候」 - 【2587】(寛永二年)十月廿日付 伊達三河守宗泰宛書状案
「壺口切之茶、一袋留置候、当年別而能候間、可心安候」 - 【2627】(寛永二年)霜月十二日付 伊達(白石)相模守宗直宛書状案
「口切之茶并白鶴一・清涵五被為相上候、一段令祝着候」 - 【2710】(寛永二年)極月十八日付 猪子内匠助一時宛書状案
「唯今此地能着候、口切之御茶、于今不申候間、廿四日・廿五日両朝間ニ申入度候」 - 参考【2806】(寛永三年)七月廿三日付 某宛書状
「今朝拙宅へ、関白様御成之事候、彼醤申請度候、御約束之壺、為持進呈候」 - 【2818】(寛永三年ヵ)九月十八日付 上林峯順勝盛宛書状
「其方に而ゆかみの壺、今朝口切候、一段茶勝候、早々為知申候、可心安候」 - 参考【2884】(年代未詳)霜ノ十一付 津田豊前守景康宛ヵ書状
「今昼美作に茶之事、能時分左右可申候、(中略)其身所ゟ可申越候、掛物・茶入・花入・茶碗なとの事にて候」
伊達政宗文書4
- 【3056】(寛永五年ヵ)九月十八日付 土井大炊頭利勝宛ヵ書状
「壺口切之御茶、 相国様へ今朝進上申度候、後刻内藤外記所迄為持可申候」 - 【3356】(寛永十二年ヵ)六月五日付 桜井宗伝正善宛ヵ書状
「今朝者、夏切之茶壺一預候、遠路為御持一入忝候」 - 参考【3393】(寛永五年、七年、九年、十年ヵ)正月三日付 伊達遠江守秀宗宛書状
「内々所望候茶入、方々へ遣、別ニ無之候、此小茄遣候、并秘蔵之しは舟之香一包、今程か様之香者、有間敷候、(中略)尚々、茶唐物者、山井之外、よくもなき円壺ゟ外、無之候」
※唐物小茄子茶入と「柴舟」の断片は、宇和島伊達家の重宝として伝来。 - 参考【3403】(寛永十年か同十二年頃ヵ)二月十二日付 柳生但馬守宗矩宛書状
「今朝者御茶給、殊更に承候、御拝領之御茶入にて忝奉存候、(中略)茶入之袋可給候」 - 【3452】(寛永六年か同八年頃ヵ)季穐十六日付 伊達安房守成実宛書状
「于今此方御逗留候哉、作事之由、口切之用意と令察候」 - 【3463】(寛永九年ヵ同十一年)十月十一日付 土井大炊頭利勝宛書状
「壺口切之御茶、御城へ進上申度候、今日にても、明日にても、御指図次第ニ可仕候」 - 【3466】(寛永三年以降ヵ)十月廿七日付 松平(伊達)越前守忠宗宛書状
「壺口切之茶二袋・肴五種到着、誠目出珍重、則、茶吟味候処、当年者、別而勝候」 - 参考【3673】(慶長十六年か同十八年ヵ)三月十九日付 織田有楽斎長益宛書状
「今度尾崎坊跡目罷下付而、御折紙被見申候、此以前之尾崎坊、別而茶ニ念入申候間、不相替壺遣可申候条、被忝御詞、別而茶能御座候様ニ奉頼存候、当年ハ何もむし茶ニ可仕与存候」 - 【3799】(慶長十七年~寛永十年ヵ)極月六日付 伊達河内守宗清宛書状
「右圍口切(壺口切ヵ)之茶一袋并王余魚十・芹五竿到来、珍重候、軈而為挽可申候」
※王余魚はカレイ(鰈)の事。 - 参考【3897】(年月日未詳)上郡山右衛門尉常為宛消息
「中村勝兵衛壺之義に可為相上候、孝学院与威徳院へ之状、此文躰ニかゝせ上へく候」
市史せんだい
- 参考【補14】(寛永九年ヵ)五月廿三日付 吉良上野介義弥宛書状
「御約束申候一種□一壺進候、可有御賞味候、今日者精進御落候て、忝次第候、難謝候」 - 参考【補58】(寛永二年ヵ)七月廿六日付 藤堂和泉守高虎宛書状
「今朝者御茶、殊更今度御拝領之御茶入一覧、及承候ゟ見事さ申者おろかニ存候」 - 参考【補62】(寛永六年ヵ)仲冬(十一月)十八日付 伊達安房守成実宛書状
「約束申候茶入、進候、此中不得隙、遅候、背本意候」 - 【補88】(元和七年〜同九年ヵ)季穐(九月)廿九蓂付 松平(伊達)美作守忠宗宛書状
「壺下候、明朝囲に而、内口切之茶可申候、豊前・伊賀可召連候」 - 参考【補120】元和七年八月十七日付 郡山与右衛門宛黒印状
「国分之内小泉村畑所、本銭拾五貫文之所下置候、卅貫文ニたて出し、右ニ茶ゑん三町うえ、上候入用と其身まかなひニ可仕候、以来茶ゑん大分ニ成、茶摘候者、奉行を申請、入用之算用別而可仕候、諸役之儀者免許候者也、仍如件」 - 【補127】(寛永六年ヵ)初秋(十月)九日付 伊達安房守成実宛書状
「従上方、茶壺参候、内々、於西枢輪(曲輪)口切之心懸に候へ共、普請、于今出来不申、先、囲にて、明後十一日朝、一服可申候」 - 参考【補353】(元和五年か同七年ヵ)九ノ十六日付 堀丹後守直寄宛書状
「廿一日晩へ被相延候由、大慶ニ存候、及承候茶入・茶碗、必御出し尤ニ候、拝見仕度候」
文言としては含まれないものの、「口切茶事」を伺わせるもの、「茶壺」、「茶箱」、「茶筒」、「茶入」、「茶碗」などの茶器類に関するものは、「参考+【号数】」の形で掲載しました。日常の茶之湯に関するものは、あまりにも数が多過ぎるので今回は見送りました。
参考文献
- 仙台市史編さん委員会編(1994)『仙台市史 史料編10 伊達政宗文書1』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2003)『仙台市史 史料編11 伊達政宗文書2』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2005)『仙台市史 史料編12 伊達政宗文書3』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2007)『仙台市史 史料編13 伊達政宗文書4』仙台市.
- 仙台市博物館編(2007)『市史せんだい Vol.17』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2011)『市史せんだい Vol.21』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2012)『市史せんだい Vol.22』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2013)『市史せんだい Vol.23』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2019)『市史せんだい Vol.29』仙台市博物館.