八丁目城跡の来歴
福島県中通り北部、福島市街地の南部にあり、阿武隈川左岸に位置する旧松川町。町内を東流する水原川沿いに、安達郡との境から北八丁に当たることがその由来という旧信夫郡八丁目村(現福島市松川町)があり、奥州街道の宿場町として賑わったその八丁目宿の北西方には、戦国期の山城である八丁目城があります。
桑折西山城主伊達稙宗により築かれたとみられる八丁目城は、比高五〇㍍の山頂に本丸跡、その下段を帯郭が廻って愛宕神社が祀られ、南東の盛林寺へ続く尾根上には空堀と段状の郭が残されています。天文の乱ののち、城は二本松の畠山氏の手に落ちたため、天正二年(1574)大森城主伊達実元がこれを奪回しました。
実元が八丁目城に隠居した後は成実が、天正十四年(1586)以後は片倉小十郎景綱が大森城主として八丁目城を支配しました。降って天正十八年(1590)八月、奥羽仕置で会津に到着した秀吉は、八丁目城に滞在中の浅野長吉に対し、厳しい検地令を発したことが伝えられています。なお、奥羽仕置後に八丁目城は破却され、廃城となりました。
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八丁目城跡へのアクセス
- 〒960-1241 福島県福島市松川町伊藤
- 東北本線「松川駅」より車で8分
- 東北自動車道「福島西IC」より車で20分
- 松川地区体育館の駐車場に駐車可能で、体育館と幼稚園を目印に進むと登城路あり