萬松山 大雄寺の来歴
宮城県南東部、阿武隈川の南岸にあり、亘理城を中心として町並みがつくられ発展してきた亘理郡亘理町。その町の西部に灌漑用の堤を設けたことに由来するという旧小堤村(現亘理町五日町・泉ケ入・旧舘・旭ほか)があり、その亘理城の南西背後には、亘理伊達氏歴代の菩提寺、萬松山 大雄寺があります。
大雄寺は、慶長九年(1604)伊達成実が信夫郡小倉村にあった父実元の菩提寺を移して雄山寺と称しましたが、のちに三代藩主綱宗の諡を憚り大雄寺と改めました。創建当時の寺域は門前屋敷を含む広大なものでしたが、元文元年(1736)焼失。文政元年(1818)から再建され、その山門は今も残されています。
大雄寺の寺地は武石亘理氏の小堤城跡で、北側が渓谷、南側が懸崖、東側から南側にかけて土塁が廻らされ、新たに築いた亘理城に移るまで居城としていました。城域南東部には亘理伊達家歴代墓所があり、初代伊達成実公霊屋をはじめ、歴代邑主と夫人らの墓が整然と並んでおり、町指定史跡となっています。
萬松山 大雄寺へのアクセス
- 〒989-2361 宮城県亘理郡亘理町字泉ケ入88
- 常磐線「亘理駅」より車で9分
- 常磐自動車道「亘理IC」より車で14分