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津島本宮社

天正年中の佐沼の役で政宗が祈願、のちに津田景康に命じて佐沼町に遷座し、以後本宮と称されるようになった。

津島本宮社の来歴

風土記御用書出 栗原郡佐沼郷北方村

一神社 弍拾壱
 佐沼総鎮守
 一祇園天王社
  一勧請 当村旧御地主津田丹波様御先祖様御勧請之由天正以前ハ当村天形と申処ニ御鎮座御座候処何年之頃ニ候哉当所江御宮移罷成候由申伝候事
 一別当 当村当山派想学院

 一天王社
  一小名 南長根御林之内天形
  一勧請 誰勧請と申儀并年月共相知不申候処天正以前勧請之由申伝候事
  一社地 南北拾九間 東西拾六間
  一御社 東向壱間半作
  一鳥居 東向
  一地主 亘理伯耆様御拝領御林之内
  一別当 想学院
  一祭日 三月十四日

『宮城県史 第28 資料篇 第6』

津島本宮社

所在 北方字天形一六〇番地
祭神 素戔嗚命
祭日 四月十四日・十一月二十三日
社殿 本殿一間二尺四方流造、銅板葺。幣殿間口一間二尺奥行三間切妻造、鉄板葺。拝殿間口三間奥行二間半入母屋造。前面軒唐破風の向拝をつける。又その後ろは入母屋造りとなり鉄板葺。向拝に天人松に鷹蚊龍彫物。

由緒
聖武天皇御代天平二年(七三〇)創建と伝える。後代文治五年(一一八九)右大将源頼朝が奥州藤原泰衡征討の際、本社に祈願し戦勝を得たので、当時の代官葛西壼岐守に仕えた佐久間左衛門尉定義に本社の奉仕守護を命じたと伝えている。

その後、天正十九年(一五九一)仙台藩祖伊達政宗が葛西大崎一揆勢の楯篭る佐沼城攻略の際、本社に祈願し、一揆を平定できたので、新たに佐沼領主に任じた津田景康に命じ、佐沼郷の総鎮守とする為、天形より佐沼に分社せしめた。これより天形を本宮と称した。明治八年村社に列した。

社名の由来は、元来祇園天王社と称したが、明治元年に神仏分離令が布告され、明治三年に至り佐沼の分社を津島神社と改称し、天形を津島本宮社とした。

『現地案内板』より

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津島神社

津島本宮社へのアクセス

  • 〒987-0513 宮城県登米市迫町北方天形160
  • JR東北本線「新田駅」より車で12分
  • 東北自動車道「若柳金成IC」より車で24分

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