朝日軍道(庄内直路)の来歴
庄内直路
慶長三年(西暦一五九八年)米沢城にあった上杉の重臣直江兼続は、徳川方の最上義光(山形)への対策として、上杉家の庄内領に通ずる軍用道路を開いた。その登り口が草岡であり、梨の木平、大石を経ておけさ堀の峯へ登り、葉山を越えて朝日山中を庄内へ縦走するもので、庄内直路、あるいは朝日間道などと呼ばれ、現在も道型がいくらか残っているという。
この道路開削にあたって、草岡村の修験者たちが道案内に立ち、その功績によって種々の恩典を与えられた記録が残っており、その子孫といわれる家も現存している。刀鍛治小片(尾形)次郎左ェ門が藩の御用鍛治を命ぜられたのもその頃であった。
明治二十一年(西暦一八八八年)に、翌年初代西根村村長に就任した高世純一等によって、峯まで荷車ののぼれるように改修された。いわゆる坂野道である。
『現地案内板』より
関連記事
RELATED ARTICLES
朝日村
浮嶋稲荷神社/大行院
庄内直路(朝日軍道)登り口へのアクセス
- 〒993-0063 山形県長井市草岡
- フラワー長井線「白兎駅(白兎集会センター前)」よりバスで「草岡新町」下車、徒歩1分
- 東北中央自動車道「山形上山IC」より車で55分
- 東北中央自動車道「米沢北IC」より車で42分