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般若山 延徳寺/塩野毘沙門堂/薬師堂

延徳寺は塩野毘沙門堂の別当寺で、大同四年(809)創建、延徳二年(1490)伊達尚宗の再建と伝え、天正年間、鷹狩りに赴く政宗が度々立ち寄っている。

般若山 延徳寺/塩野毘沙門堂/薬師堂の来歴

伊達天正日記

天正十五年(1587)正月廿三日条

廿三日

一、御鷹野、円徳寺にて白犬、御てつほうにて被遊候ヲ、御鷹ノ飼ニ被成候、高屋、すゝ鴨一あわセ被申候ヲ、からセられ候て、ねらい物ニ被成被遊候、窪田にて御酒、小築川式部上被申候所へ、碩斎御不審之者罷出候間逃申候、其後犬二疋罷出候、一ひきハ逃申、一疋をハ被遊候、御矢ふたつあたり申候、御かへりニ、円徳寺より風ふき申候、夜に入候て犬共合させられ候、したゝかくいあい申候、其刻雪ふり申候、

天正十五年(1587)二月十二日条

十二日

ー、天気風雪、御鷹野、窪田まて御出キ被成候、円徳寺にて御めしあかり、たて山やらい口まて御こし、御かへりニ生口被為切候、しん城にて、高屋、鴈一・鴨一ツあわセ被申候、孫左衛門尉セうにて、安右衛門尉、かも三ツあわセ被申候、

天正十六年(1588)正月十九日条

一 十九日、くハんをんち・ゑんとくちいんしゆ御まいり候、すきのめしゆ十人御さにさしおかれ候、そのうへおの〳〵めしいたしくたされ候、

天正十七年(1589)三月廿八日条

い 廿八日

天気よし、新田殿御めし上御中候、御相伴衆泥蟠・伯蔵・松雲・打月・七伯・富近・原左・遠文いつれも御伴の衆へのこりなく御めしにて候、円徳寺より火つけうち申候てくび一ッまいり候、御とゝけとして小梁川殿・下飯坂殿・本宮殿・盛重・叶案・西大枝殿・石川殿御参候、梅仙も参御申候、方々より御酒・御さかな参候事ハさいげんなく候、あかつかも参申候、御でいにて、かのはいかいを申候、日傾御参候、同幡州も御参候、小十郎ひきやく上申され候、中山ニおゐてさぜの源兵衛かゝへをき申とてちうしん申上候、御湯へいらせられ候所へ参申候、打月斎御相手ニ御参候て、能ハやしま、其外雑談かすをしらす候、

『戦国史料叢書 第2期 第11 伊達史料集(下)・伊達天正日記 天正十五年』

晴宗公采地下賜録

七二、上長いやのめの内、なかむら十郎さゑもんふん、一のけさきかうや、一十郎在け、一十郎ゑもんやしきの内二千仁百かり、同かうとミつかあふミのふん、一きむらさいけ、一たんこ在け、こせの内、いゝつかいわミのふん、一下こせ在け、一にしの在け、一道中在けのうちきり田二千かり、同いやしき、同庄しほのゝ内、えんとく寺まちやしき三けん半、川いのうち、松のき在け、をの〳〵下をく所不可有相違也、

こ梁川大いのすけ

二〇九、延徳寺、ひかし町さまのすけさうせいはいのとをり、むねやく田銭諸公事をしさき候也、

はまた左馬助

『米沢市史 資料篇1(古代・中世史料)』

天正十五年 上長井段銭帳

◯〽︎一、仁百四十文円徳寺中嶋守在家湯目藤九郎分仁千仁百かり仁十壱文かゝりニ、以上、

◯〽︎一、百九十文えんとく寺之内宮井壱〆しりニ、遠藤文七殿直納ニ候、以上、

『米沢市史 資料篇1(古代・中世史料)』

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延徳寺遺跡

般若山 延徳寺へのアクセス

  • 〒992-0042 山形県米沢市塩井町2075
  • JR米坂線「成島駅」より車で7分
  • 東北中央自動車道「米沢中央IC」より車で10分

塩野毘沙門堂へのアクセス

  • 〒992-0042 山形県米沢市塩井町塩野1770
  • JR米坂線「成島駅」より車で6分
  • 東北中央自動車道「米沢中央IC」より車で10分

薬師堂へのアクセス

  • 〒992-0042 山形県米沢市塩井町塩野2162
  • JR米坂線「成島駅」より車で7分
  • 東北中央自動車道「米沢中央IC」より車で9分

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