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北谷地小路

伊達政宗が落馬したとの記録が残る侍町、北谷地小路。

旧町名由来 北谷地小路

(現町名 城南一丁目・松が岬一丁目)

米沢城の南側に位置する侍町で、主に御馬廻組に属する中級家臣団の屋敷があった。町名は、米沢城の南側にあった谷地村に通じる町に由来する。伊達氏の記録には、米沢城を出た伊達政宗が谷地小路で落馬し怪我を負った記載が見える。

『現地案内板』より

伊達天正日記 天正十七年(1589)二月廿六日条

たつ 廿六日
天気吉、朝分おふてにて青木おりへ馬御らんし候、其後あかい備中上被申候御馬御覧し候、けんきやういたしやう〳〵つかまい申候、それより御引こミ被成候、御まとあそはされ候、御あいてよこを大学助・山戸田けん物・湯目式部少輔晩方やちこうしへ御出き、御馬めさせられ候、折節つようち申候ところニはねされ候、少御あやまちさせられ候、則若狭めしよせられ候、幡州・小梁河殿・ちつけい・本宮殿・盛重・泥蟠はしめと申、各々御参候、

『戦国史料叢書 第2期 第11 伊達史料集(下)』

北谷地小路へのアクセス

  • 〒992-0038 山形県米沢市城南1丁目5
  • 奥羽本線「米沢駅」より車で10分
  • 東北中央自動車道「米沢中央IC」より車で11分

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