田村御前の墓の来歴
福島県中通り北部、吾妻連峰、飯坂温泉などを控えた観光都市である福島市。その市の最北端、奥羽山脈の東部に広がる山間部に旧伊達郡茂庭村(現福島市飯坂茂庭)があり、南流する摺上川と支流布入川が合流する地点には、伊達政宗の正室愛姫の母である田村御前の墓が残されています。
田村御前は、相馬顕胤の娘で義胤の叔母にあたり、天文十八年(1549)三春城主田村清顕に嫁ぎました。天正十四年(1586)清顕が没すると船引城に隠居、秀吉の奥羽仕置で相馬領の堤谷に移り、のちに此処に移り住んだといいます。また仙台城北舘に住したともいわれ、墓は仙台の輪王寺にも残されています。
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田村御前の墓へのアクセス
- 〒960-0271 福島県福島市飯坂町茂庭西川原
- 福島交通飯坂線「飯坂温泉駅」より車で17分
- 東北自動車道「福島飯坂IC」より車で23分