伯楽天王/弥陀墓の来歴
宮城県の最南端、伊具盆地の南半分を占め、北以外の三方が山地に囲まれる伊具郡丸森町。阿武隈川が北に曲折するその右岸一帯に旧小斎村(現丸森町小斎)があり、南端の遠藤地区には、戦国期の伊達氏と相馬氏の攻防にまつわる伝承が語り継がれてきた伯楽天王と弥陀墓があります。
伯楽天王は、政宗が相馬氏の守る金山城を攻める際、愛馬が亡くなったため埋葬して霊を祀って建てた社だといい、馬の守護神として信仰されてきました。 弥陀墓は、政宗が相馬氏との合戦の際、大内某の娘を側室にするも不治の病にかかり亡くなったため、供養のために建てた石碑だと語り継がれています。
小斎村郷土史 九、名所、旧跡
【弥陀墓】字遠藤、入口の左、山腹にあり口碑に政宗公冥護山在陣中花園に住める都落の大内某の娘容色の艶麗なるを愛で妾となせるが其病死せるを惜ませ祀りたるものなりと。
【白楽天王】字遠藤山頂にあり天正中政宗公冥護山在陣にて金山城を攻めしとき公の愛馬の倒れたるを惜ませ祀れるものなりといふ。
『伊具郡誌』
伯楽天王へのアクセス
- 〒981-2401 宮城県伊具郡丸森町小斎遠藤
- 阿武隈急行「丸森駅」より車で14分
- 常磐自動車道「新地IC」より車で22分
弥陀墓へのアクセス
- 〒981-2401 宮城県伊具郡丸森町小斎遠藤
- 阿武隈急行「丸森駅」より車で14分
- 常磐自動車道「新地IC」より車で22分