鍋倉山八幡神社の来歴
宮城県北西部、玉造郡南東にあり、奥羽山脈の裾野に広がる丘陵地に位置する旧岩出山町。町域の中央、近世には岩出山伊達家の城下町として栄えた旧岩出山本郷(現大崎市岩出山大学町・二ノ構・下金沢ほか)があり、蛭沢川南岸の通称「鍋倉山」には、城下鎮守の八幡神社とそれに隣接する鍋倉山館跡があります。
鍋倉山八幡、岩出山八幡とも称される八幡神社は源義家の勧請と伝え、氏家氏の時代には岩手沢城裏にあり、氏家弾正が崇拝してきたといいます。政宗が岩出山に移ると、城中にあっては諸人の参詣に支障があるとし、屋代勘解由に命じて適地を選定させ、京都の石清水八幡の景観になぞらえ鍋倉山に鎮座しました。
八幡神社は江戸時代を通じて岩出山伊達氏の庇護を受け、村の鎮守として庶民の信仰も集めました。寛文元年(1661)伊達弾正宗敏が社殿を再建、同六年には宗敏が自身の災厄消除のため鐘を鋳造して奉納。祭礼は八月十五、十六日で、十五日には神事が執り行われ、翌十六日には射場で流鏑馬が行われました。
また、天文の内乱で稙宗が岩手沢を攻める際、陣を張ったのが鍋倉山であるとされ、鍋倉山館跡は八幡神社の東側に位置し、市の天然記念物「八幡神社の樅ノ木群」付近が主郭と考えられています。参道の石段と並走して東側に最大幅十五㍍の竪堀、西側には出崎明神が建つ物見台とそこに至る土塁道などが残ります。
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八幡神社/鍋倉山館跡へのアクセス
- 〒989-6442 宮城県大崎市岩出山下金沢370
- 陸羽東線「岩出山駅」より徒歩18分
- 東北自動車道「古川IC」より車で14分
参考文献
- 宮城県神社庁編(1976)『宮城県神社名鑑』宮城県神社庁.
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
- 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
- 岩出山町史編さん委員会編(2009)『岩出山町史 通史編 上巻』大崎市.
- 岩出山町史編さん委員会編(2011)『岩出山町史 通史編 下巻』大崎市.