奈良 平安時代の官衙跡に築城された奥州探題大崎氏居城

宮城県北西部に位置し、江合川と鳴瀬川の氾濫で形成された肥沃な大崎耕土を有する大崎市。その中心であった旧古川市内、江合川と渋川の中間に旧名生村(現大崎市古川大崎)があり、隣接する旧伏見村を含む地域には、奥州探題大崎氏の居城であった名生城跡があります。

名生城は、奈良・平安時代に大崎地方西部を治めていた官衙・城柵のあとを受けた居館跡で、奥州探題大崎氏の居城として知られているほか、天平九年(737)多賀城とともに文献に記述される玉造柵の跡と考えられ、古代官衙跡と中世名生城跡との複合遺跡、名生館官衙遺跡として国指定史跡となっています。

天正十八年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置により大崎義隆は所領を没収され、同年から翌年にかけて葛西大崎一揆が勃発。この鎮定にあたった蒲生氏郷が一時的に居城しました。また、一揆後の岩出山築城に際し、縄張りのため徳川家康、榊原康政らが名生城に立ち寄り、その後廃城になったと考えられています。

名生城小館には、奥州探題として下向した斯波家兼が大崎氏と名乗り、大崎五郡の総鎮守とした熊野神社の社地に鎮座する大崎神社があります。玉造川の川筋三十六箇所に祀ったと云う三十六所神社に、明治になって旧大崎村各神社を合祀、此処に三十六所神社の社殿を遷座、合祀して大崎神社と改称しました。

名生城の北端に位置する北館は、南方以外の三方が土塁で囲まれた五米程の丘陵にあり、東西二〇〇㍍、南北一五〇㍍ほどの規模で、南方に位置する内館との間には巨大な堀が配され、中央部には南北に土塁が走り、平場には永正年間(1504-1521)頃の開山と伝わる曹洞宗 名生山 浄泉院が建立されています。

国指定史跡 名生館官衙遺跡へのアクセス

  • 〒989-6100 宮城県大崎市古川大崎城内
  • 陸羽東線「東大崎駅」から徒歩で10分
  • 東北自動車道「古川IC」から車で10分