loader image
Night Mode Night Mode
Day Mode Day Mode

丸山館跡

丸森城、円森城とも記される中世から近世にかけての山城で、西郭にある愛宕神社境内には、伊達稙宗の墓碑が建立されている。

丸山館跡の来歴

永禄八年(1565)五月十二日条

○五月壬午小十二日戊申(中略)

○此日道祐君ヨリ丸森城ヘ御書ヲ奉ラル此書速ニ尊覧ニ具今日中御報可賜ノ旨片平五郎兵衛(諱不知)所マテ御書ヲ以テ仰遣サル

伊具郡丸森ハ 御祖父稙宗君ノ御隠居所ナリ天文十一年内乱 稙宗君晴宗君御父子不和ニシテ御家騒動ス人々ノ言伝ル所ナリ然レトモ終ニ御和順アリテ仰通セラル五郎兵衛ニ賜ル御書ニモ分明ナリ御書今其家ニ存ス

『性山公治家記録 巻之一』

永禄八年(1565)六月十九日条

○永禄八年六月癸未小十九日丙申 御祖父従四位下稙宗君伊具郡丸森城ニ於テ卒シ給フ御寿七十八歳西ノ曲輪ニ葬ル智松院殿直山円入大居士ト号シ奉ル

○小梁川信濃宗朝入道日双殉死ス年九十七御墓ノ側ニ葬ル(中略)

政宗君ノ時東昌禅寺大有和尚東昌寺ノ内ニ智松院ヲ建ラル和尚ハ 稙宗君ノ御子ナリ

『性山公治家記録 巻之一』

天正五年(1577)五月十二日条

○十二日甲辰伊具郡金山丸森ノ両城ヘ御働キ城辺マテ押詰メ麦毛悉ク刈取ル

丸森ハ元 当家ノ藩城ニシテ 稙宗君ノ御隠居所ナリ永禄八年御卒去以後城主誰ト云フ事ヲ不知後相馬ニ属スト見ヘタリ

『性山公治家記録 巻之三』

天正十一年(1583)二月六日条

二月乙卯小六日己未 公嗣君伊具郡金山丸森ノ両城ヘ御働アリ御先手亘理源五郎殿重宗雉野尾川ヲ打越ヘ金山城小口ニ押詰メ挑戦ハル且城下ノ市廛ニ放火シ四五人討捕ル

『性山公治家記録 巻之五』

天正十四年(1586)九月二十五日条

○廿五日丁巳黒木中務宗元ニ伊具郡丸森城ヲ賜フ采地トシテ丸森ノ内大浪民部同玄蕃大石彦四郎石田右馬舟山太郎右衛門中村主馬斎藤弥左衛門吉田彦右衛門沼崎新左衛門安堵外記引地伊賀犬飼源次郎大石主計所領ヲ除キ余ハ悉ク賜ル

此城ハ相馬境ノ要鎮ナリ近年誰ヲ置レシヤ蓋城主無ク大波大石以下ノ輩ヲシテ守ラシメラル歟不詳

『貞山公治家記録 巻之四』

天正十七年(1589)五月廿四日条

○廿四日庚午天気好入夜大雨(中略)

○晩方駒嶺城ヘ御出御一宿黒木中務宗元名ヲ上野ト可改旨仰付ラル○亘理源五郎殿ヘ加増トシテ新地蓑首山ヲ遣サル駒嶺城ヲ黒木上野ヘ賜フ上野跡丸森城高野壱岐親兼ニ賜フ(後略)

『貞山公治家記録 巻之九』

慶長三年(1598)十二月廿七日条

○十二月乙丑大廿七日戊寅大條薩摩実頼ニ采地五十四貫八百文ヲ加増セラレ本知都合百貫文ニ成シ賜リ伊具郡丸森城ニ移住ヲ命セラル薩摩ハ越前改名ナリ去ル天正十九年 公越前守御兼任ノ時ニ仰付ラル

『貞山公治家記録 巻之十九』

仙台領古城書立之覚

丸森村

丸森城 東西廿八間 南北廿二間 同
此城主政宗曽祖父伊達左京亮稙宗取立候家来高野壱岐差置申由 高野靱負先祖ニ御座候

『宮城縣史32 資料篇9』

伊具郡丸森村風土記御用書出

丸森村
一村名ニ付由来 当村丸山館之近所ニ小山御座候処往古より丸森と申唱候ニ付邑名ニ相称候事

一旧跡 六ッ
稙宗様御廟 天文十七年之秋当丸山館江御隠居被遊永禄八年六月十九日御卒去ニ付御二丸愛宕社之前江御尊骸被相納御廟御造立之由申伝候事

一古町 一御弓町 一下須ヶ町 一七反町 一亀ヶ町
右五ヶ所往古丸山館御住居之節御家中町并町跡之由申伝候処当時田畑寄ニ罷成名儀相残居候事

一古館 四ッ
丸森館
一本丸 高サ拾七丈 南北廿七間 東西拾弐間
一二ノ丸 高サ拾五丈余 南北弐拾間 東西拾間
一三ノ丸 高サ拾丈 南北廿七間 東西拾七間

右者当御家御先祖様 稙宗公御とり立被成置天文十七年此処ニ御隠居被遊其後 貞山様御代刈田郡平沢御地頭大太郎様御先祖高野壱岐様兼高御在所ニ罷成御子高野弥吉様迄御住居被成置慶長六年当郡尾山村金津ノ御地頭右門様御先祖大條薩摩守様実頼御拝領ニ罷成御取移候処同年当所鳥屋館江御引移其後明館ニ罷成候但シ当時ハ愛宕社ニ罷成候事

『宮城縣史23 資料篇1』

丸山館跡へのアクセス

  • 〒981-2112 宮城県伊具郡丸森町渕ノ上
  • 阿武隈急行「丸森駅」より車で8分
  • 常磐自動車道「新地IC」より車で22分
  • 常磐自動車道「山元IC」より車で20分
  • 東北自動車道「白石IC」より車で33分

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

書き出しに戻る
Close
著者一覧