佐瀬大和守種常之碑の来歴
新編会津風土記巻之五十五 入倉村
墳墓
佐瀬大和種常墓
村ヨリ亥ノ方五町四十間、大谷川ノ辺ニ高三尺余ノ五輪アリ、文化二年ヨリ一夫ノ役ヲ免シ、其墓ヲ守テ草木ヲ芟治セシム、前ニ碑アリ、其文左二載ス
佐瀬大和墓在瑘磨郡入倉邑、邑民以先儒佐瀬常員所作状謁余文表諸墓、按状君諱種常、其先下総人徒会津世為葦名氏臣、与平田・松本・富田三氏為国貴族、天正十七年三浦盛国叛降干長井、伊達政宗率兵入干猪苗代、葦名義広帥師戦干磨上原、敗績出奔常陸、君与其嗣子平八郎常雄死之、実六月五日也、嗟夫平居無事則保禄位享貴富、及国亡君辱則崩角稽首、唯恐送款之後也、自古売国之臣皆然、視君父子之執干戈衛社稷継之以死、其軽重何如哉、文化二年十月安戩識
『新編会津風土記 第三巻』
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佐瀬大和守種常之碑へのアクセス
- 〒969-3304 福島県耶麻郡磐梯町大谷金屋上
- JR磐越西線「東長原駅」より車で5分
- 磐越自動車道「磐梯河東IC」より車で5分