ローダーイメージ
Night Mode Night Mode
Day Mode Day Mode

国指定史跡 慧日寺跡/磐梯山 恵日寺

平安初期、法相宗の高僧徳一が開いた古刹で、会津仏教文化の中心をなすも、天正十七年、伊達氏の侵攻で兵火に遭い、政宗は三百貫文の地を寄付したという。

国指定史跡 慧日寺跡の来歴

新編会津風土記 巻之五十三

陸奥国耶麻郡之四 大寺村・本寺村

寺院

恵日寺〔境内三千百四歩免除地〕本寺村ノ北ニアリ、山城国醍醐山金剛王院ノ末寺、真言宗ナリ、山号ヲ磐梯山ト云、縁起ヲ案スルニ、磐梯山モトハ病悩山トテ魔魅スミ居テ常ニ祟ヲナシ稼穡ヲ害セリ、シカノミナラス山麓ニ民居数多アリシニ、大同元年暴ニ一大湖トナレリ、斯ル災異 朝ニ聞エシニ因リ、同二年空海 勅ヲ奉シテ此地ニ来リ〔空海カ歌ナリトテ、布引ト聞テキタレハ更科ノ月輪潟ニ着トオモへハ、トイフ詠アリ〕、河沼郡〔代田組八田野村ニ其遺踪アリ〕ニテ十日カ程秘法ヲ修シケレハ、魔魅ハ其別峯烏帽子嶽マテ失去リヌ、斯テ空海山ノ名ヲ磐梯ト改メ、且永ク災異鎮防ノ為ニトテ当寺ヲ開カンコトヲ謀リ、三鈷ノ杵ヲ投テ霊区ヲトセシニ、其杵雲中ニ人ト見シカ落テ此山ノ紫藤ノ上ニ懸レリ〔今ノ三鈷藤コレナリ、又寺ニ伝フルニ、空海加持セシ時大蛇逃去、ソノ尾此地ニ当レル故尾寺ト云シトソ〕、因テ此地ニ当寺ヲ創立シ、丈六ノ薬師ノ金像・日光・月光・十二神将・四天王等ヲ安置セリ、此時ニ山神形ヲ現シケレハ、空海コレヲ祝ヒ祭テ磐梯明神ト称シ、舞楽ヲ奏シテ明神舞ト名ク、又戒壇ヲ建テ受戒セシメ、 宝祚ヲ析テ巻数ヲ奉シケレハ、 叡感ノ余当郡ノ官祖ヲ免シテ永ク寺料トセラル、其後空海此寺ニ住セルコト三年ニシテ僧侶三百余人ニ及ヒシカ、大同五年都ニ帰ルヘキ由 詔アリシニ因リ、当寺ヲハ徳一ニ属シテレリト云〔大師行状起ト云書ニ、陸奥国会津ニ空海精舎ヲ建テ慧日寺ト号ケ徳一ニ属ストアリ、然レトモ今昔物語ニ徳一カ建タル恵日寺トアリ、マタ神明鏡ニ、徳溢奥州会津ニ清水寺ヲ建テ観音ヲ安置スト見エ、百因縁集ニハ徳一奥州会津石梯山ニ清水寺ヲ建立シ、弟子今与ト云者ニ此寺ヲ属セシ由アレハ、清水寺ハ当寺ノ別称ニテ徳一ノ開基トハ見エタリ、且大同元年空海帰 朝ノ後同二年マテハ筑前国御笠郡観音寺ニ居シト聞ユ、コレ等ノ説縁起ノ載スル所ト異ナルユヱ、ココニ併録ス、百因縁集ニ載スル今与ト云モノ詳ナラス、法系第三世ニ金耀ト云僧アリ、此僧ノ名ヲ写シ訛シニヤ、又徳一カ歌ナリトテ、縁アラハ我又コンヨイハハシノ山ノフモトノ清水ノ寺トイフ詠アリ〕、徳一当寺ニ住セシヨリ以来相続テ寺門益繁栄シ、子院モ三千八百坊ニ及ヒ、数里ノ間ハ堂塔軒ヲ比シ〔旧事雑考応安四年ノ記ニ恵日寺塔供養トアリ〕甍ヲ並ヘ壮麗言計ナリシトソ、サレハ会津四郡ノ地大方ハ寺領ナリシニ、寿永ノ頃越後城四郎長茂、越後国蒲原郡小川荘ヲ割テ、当寺ノ衆徒頭乗丹坊ニ与ヘケレハ、寺産益饒ナリシカ、信州横田河原ノ戦ニ乗丹四郡ノ兵ヲ率テ進発シ、彼地ニテ討死セリ〔平家物語ニ出、又源平盛衰記ニ乗丹坊ヲ勝諶房ニ作ル、又其子息藤新大夫奥山権守其子ノ横新大夫伴藤別当トシルセリ、此四人ノ事詳ナラス〕、因テ当寺モ稍衰ヘシト云、サレトモ永正ノ頃マテハ猶宏基巨構ニシテ院宇モ多カリシト見エ、其図今ニ残レリ〔村老ノ口碑ニ当寺繁栄ノ時ハ寺領今ヲ以テ見ルニ十八万石計ナリシト云、又倉屋太郎兵衛・薄井平右衛門・深沢清七郎・桑原主計・鈴木五郎左衛門・大工倉之丞・檜田鴨之丞・近藤治右衛門・磯部十郎右衛門・伊南居治郎右衛門・唐桶美濃・馬場若狭・湯田土佐ナト云者寺務ヲ司リシト云、又葦名四天宿老ノ巨魁タリシ富田氏ノ先モ当寺ノ役人ナリシトイフ〕、葦名義広ノ頃ハ寺産モ漸衰ヘ、僅ニ八田野・居合・柳原ノ三村ヲ所務セリ、天正中伊達氏ノ乱ニ坊舎残ナク兵火ニ罹リ、衆徒ミナ退散セシカ、当寺ノ検校歓喜院玄弘ト云者冤角シテ是ヲ防キ、只金堂ノミ火災免ルト云、然レトモ其霊跡ナルニ因リ、伊達氏ヨリ常世・三橋・竹屋ニテ三百貫文ノ地ヲ寄附セリ、蒲生氏郷ノ時コレラモ失ヒシカ、秀行ニ至リ五十石ノ寺料ヲ賜フ、明暦中肥後守正之コレヲ修営シ、五十石ノ地ヲ寄附セリ、今ハ昔ノ形ナケレトモ、古蹟遺踪四方ノ原野ニ棋布シ、其余舞師田・笛吹田・大鼓田・香田・油田・四十坊・数万灯等ノ字田圃ノ間ニ遺リ、古ノ全盛想像スルニ堪タリ、薬師ノ霊像ハ今ニ存シテ霊験多ク、古器文書等猶少カラス、皆下ニ挙ク、未寺二十一箇寺アリ

『新編会津風土記 第3巻』

国指定史跡 慧日寺跡へのアクセス

  • 〒969-3301 福島県耶麻郡磐梯町磐梯本寺上4950
  • JR磐越西線「磐梯町駅」より徒歩18分
  • 常磐自動車道「磐梯河東IC」より車で5分

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


書き出しに戻る
Close