慶月院の墓/陽林庵跡の来歴
亘理町吉田地区の夜討坂と呼ばれる山中に、伊達騒動で知られる原田甲斐の実母、慶月院の墓が残されています。騒動後、慶月院にも累が及び、その身は亘理伊達家預かりとなりましたが、没後は内密に葬られ、自然石を墓標にしたと言われています。
道中には亘理宗元の代、藤原秀衡が東北観音の礼所とした場所に創建させたという龍淵寺があったといいます。のちに龍淵寺が遠田郡涌谷に去ると、そこへ大雄寺の隠居寺として陽林庵が建てられました。維新後亘理伊達氏の移住とともに庵は廃され、奉祀されていた観音像は大雄寺に祀られたと伝えられます。
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慶月院の墓へのアクセス
- 〒989-2341 宮城県亘理郡亘理町長瀞夜討坂
- 常磐線「亘理駅」より車で9分
- 常磐自動車道「山元 IC」より車で9分