仙台城下町のひとつで、東七番丁角から木ノ下薬師堂方面へ下る通り沿いの町、旧連坊小路(現若林区連坊小路・二軒茶屋ほか)。その小路の北裏には、慶長六年(1601)伊達政宗が、祖父晴宗の夫人で杉目御前とも呼ばれた久保姫の菩提を弔うために建立した位牌寺、裁松院があります。
晴宗没後、久保姫は栽松院と名乗り杉目城にいましたが、政宗の岩出山移封に伴い根白石村に移り、文禄三年(1594)同地で没しました。政宗はその屋敷跡に琥珀山宝積寺を建立、仙台に移った後も同寺に詣でて祖母の冥福を祈りましたが、遠距離のため仙台に栽松院を創建、松音寺五世恕三を開山としました。
貞山公治家記録
文禄三年(1596)六月条
◯六月辛末小九日内辰 御祖母磐城氏平久保姫栽松院月盛妙秋禅尼、奥州宮城郡国分根白石舘ニ於テ卒シ給フ奥州磐城先主磐城右京大夫殿重隆ノ女ナリ天正五年 晴宗君卒シ玉フ以後モ信夫郡杉目城ニ御座シ天正十九年 公岩出山ヘ移リ給フ時始テ根白石舘ニ移住給フ今度御臨終ニ及ンテ其御座ス所ノ屋宇ヲ以テ寺トシ曹洞宗月窓派信夫郡杉目琥珀山宝積寺前住能山和尚〔諱正芸〕ヲ開山トシ住持セシメ御遺骸ヲモ比所ニ葬リ奉ラレ御居所ヲ寺トシテ琥珀山宝積禅寺ト号シ能山和尚ヲ開山ノ祖トシ住セシム且ツ少分ノ地ヲ寄附シ給フ蓋シ杉目宝積寺ハ 晴宗君ヲ送葬奉ラレシ寺ナリ故ニ此御遺言ニ及ハルト云云此後別ニ栽松禅院ヲ仙台城下八塚ノ地ニ御創栄 栽松院殿ノ御位牌ヲ安置シ給ヒ寺領ヲ寄附セラレ曹洞宗大源派松音寺第五世台屋和尚〔諱恕三〕ヲ請シテ開山ノ祖トシ給フ
『伊達家治家記録 第1』
栽松院殿寿算未考◯栽松院御創栄ノ年月不知
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仙台市
白石城跡/市指定史跡 裁松院墓所/琥珀山 宝積寺跡
耕徳山 裁松院へのアクセス
- 〒984-0052 宮城県仙台市若林区連坊1丁目3−18
- 地下鉄東西線「連坊駅」より徒歩9分
- 東北自動車道「仙台宮城IC」より車で12分