小僧丸義宣の墓の来歴
宮城県北東部、石巻湾に臨む海岸部に位置し、江戸期には藩米を江戸へ積み出す河口湾として繁栄した石巻市。市域北部、北上川と追波川の分岐点東側に旧大森村(現石巻市大森)があり、北上川南岸のかつて辻堂と呼ばれた地域に、伊達稙宗の次男、伊達小僧丸義宣の墓が残されています。
小僧丸義宣は伊達稙宗の次男で、稙宗の養子政策により大崎氏に送り込まれましたが、天文の乱の影響で義宣の稙宗派と晴宗派が対立。天文十九年(1550)危険を感じた義宣は稙宗の三男牛猿丸(葛西晴清)がいる葛西氏のもとに亡命を図ろうとしますが、領内の辻堂に差し掛かった処で大崎家の刺客に討たれたといわれています。
小僧丸義宣の墓へのアクセス
- 〒986-0121 宮城県石巻市大森本町
- 石巻線「佳景山駅」より車で16分
- 三陸自動車道「河北IC」より車で5分
- 県道33号線(石巻河北線)から北東方向の脇道に入ってすぐに標柱あり