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孤円山 月心院跡/愛宕神社

真田信繁の法号「月心院單翁宗伝大居士」を冠した菩提寺跡。

孤円山 月心院跡の来歴

宮城県南部、蔵王連峰東南麓に広がる県南の城下町、白石市。市街地の南西部、愛宕・鉢森山の東に旧刈田郡森合村(現白石市大平森合)があり、慶長五年(1600)政宗の白石城攻略に際して片倉景綱が布陣した蔵本村一本木(一本木遺跡)の南方には、片倉家守護神の愛宕神社と真田信繁菩提寺の月心院跡があります。

月心院は、片倉氏二代重長の継室阿梅の発願によって慶安元年(1648)傑山寺五世乾岫和尚が開山した臨済宗の寺で、亡き真田信繁夫妻の菩提を弔うため位牌を安置してあったといいます。知行五百文を受けていましたが、片倉家臣の多くが北海道開拓で移住するなどの理由により、明治初年に廃寺となりました。

境内奥には、片倉家が軍神として尊信した愛宕大権現を祀る愛宕神社があり、参道傍らには歴代住職の墓が残ります。寛永年間(1624-1644)重長が宮村から遷座したもので、現在は福岡神明社に合祀されました。白石神明社の神楽堂は、その社殿であったといわれ、元禄年間(1688-1704)の建造と伝わります。

また、慶応四年(1868)福島城下金沢屋で仙台藩士らにより捕縛された世良修蔵は、阿武隈川の河原で斬首され、首級は白石城に届けられました。藩は首を傑山寺に埋葬しようとするも難色を示された為、無住寺であった月心院の椿の根元に埋葬され、明治三年(1870)陣場山に改葬、同八年(1875)宮城県が墓碑を建立しました。

風土記御用書出

片倉小十郎様御拝領地
刈田郡森合村〔大平村〕
肝入 新五右衛門

森合村

一村名ニ付由来 往古八幡太郎義家公当国御下向之砌当村西之峯ニ御陣取被遊候以来右山ヲ八森山と申其麓ヲ森合と唱来村名ニ相成候由申伝候事

(中略)

一神社 六ッ

(中略)

 一愛宕社 一小名 臨済宗孤円山月心院境内
  一勧請 誰勧請と申儀并年月共相知不申候事
  一社地 南北三間 東西三間 一社 東向壱間作
  △一鳥居 △一長床 △一額
  一地主 月心院 一別当 月心院 一祭日 六月廿四日
  右十ヶ條之内印仕候分無御座候事

(中略)

一寺 壱ヶ寺

孤円山 月心院

  △一小名 一臨済宗 一客殿 東向竪四間半 横七間
  一本尊 釈迦如来 木佛坐像 御長壱尺弐寸
      但作者相知不申候事
  △一門 一額 佛殿横額孤円山三字当郡白石本郷常英山傑山寺第六世岱宗和尚御筆
  右六ヶ條之内印仕候分無御座候事
 一寺書出壱冊相添指出申候事

(後略)

『宮城県史 第23 資料編 第1』

刈田郡森合村月心院書出

片倉小十郎様御拝領
刈田郡森合村〔大平村〕
臨済宗関山派 孤円山月心院 至唯

臨済宗関山派孤円山月心院

一開山之事 当寺ハ当郡白石本郷常英山傑山寺第五世乾岫和尚慶安元年三月開山ニ付当安永六年迄百三十年ニ罷成候事

◯一小名之事 ◯一故事来歴之事
一本山并末寺之事 本山者当郡白石本郷常英山傑山寺ニ御座候但末寺無御座候事
◯一寺格之事 ◯一最初之地移替之事
一寺領并御寄附之事
 一御知行 五百文 右ハ当御領主小十郎様御先祖片倉備中守様重長御代慶安元年七月御寄附有之今以相続仕候事
◯一御墓所并御位牌之事 ◯一御参詣又ハ御成之事 ◯一御詠歌等惣而拝領物之事 ◯一御目見并御意等有之候事
一古キ什物之事 一本尊 釈迦如来 壱体
  右御長等委細之儀ハ村書出ニ御書上仕候事
◯一古キ墓所之事
一別当所之事
 境内
 一愛宕社 右間敷等委細之義者村書出ニ御書上仕候事
◯一境内景地之事
一開山ゟ当住迄歴代之道号実名之事
  開山 乾岫宗元 二世 鏡翁玄亀 三世 心空祖印
  四世 肯関宗密 五世 梁山惟桂 六世 森佳智済
  七世 鉄州禅而 八世 霊州禅侶 九世 黙伝至唯
   以上六ヶ條

御案当拾六ヶ條之内印仕候分十ヶ條之品無御座候事
右之通風土記御用ニ付此度相改御書上仕候 以上

  安永六年七月

『宮城県史 第23 資料編 第1』

月心院の由来

昔 真田幸村の法名を名付けたと云われている月心院は、其の境内は愛宕神社と併用していた。

伊達政宗公の重臣であった 白石城主 片倉小十郎景綱公が慶長七年入城を許された時の貴重な寺院として地方で保護されていた。

時代が武家政治から天皇制に移行する契機となった戊辰戦争により二本松城、白河城、会津若松域、自石城などは、官軍の手によって攻め落とされた。

白石城の重臣たちは、北海道移住をやむなくされ、その後、跡地は森合、蔵本の一部の人に開放され、今 月心院共同墓地としてその名が茲に残されている。

北海道に移住された重臣たちの墓石は、地震等で倒れていたが、傑山寺住職により法要が行われ、有縁、無縁の碑を立てその霊を祀っている。北海道に移住された方々の子孫が、時々先祖の墓参に訪れている。

尚 前記の東北の城が、官軍によって攻め落とされようとしていたとき、会津若松城を攻めた官軍の参謀 世良修蔵は、明日は容易に白石城を攻め落とせると思っていたが、福島の瀬上、金沢屋に宿泊中、仙台藩士により斬殺された。

明治元年月十九日の夜のことであった。

昔は、森合 月心院に埋葬されていたが、明治九年天皇の東北御巡幸の前に改葬され、今は陣場が丘に埋葬されている。

終わりにこの月心院は、廃寺となったが、歴史上、貴重な寺院跡として世に知られている。

平成十八年十月吉日
月心院共同墓地管理者

『現地由来碑』より

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孤円山 月心院跡へのアクセス

  • 〒989-0217 宮城県白石市大平森合山口
  • 東北本線「白石駅」より車で8分
  • 東北自動車道「白石IC」より車で10分

愛宕神社へのアクセス

  • 〒989-0217 宮城県白石市大平森合字金山
  • 東北本線「白石駅」より車で8分
  • 東北自動車道「白石IC」より車で10分

参考文献

  • 宮城県史編纂委員会編(1954)『宮城県史 第23 資料編 第1』宮城県史刊行会.
  • 白石市編さん委員会編(1979)『白石市史Ⅰ 通史編』白石市.
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
  • 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
  • 小西幸雄(1996)『仙台真田代々記』宝文堂.
  • 白石市観光協会編(2002)『白石市 史跡のまち ガイドブック』白石市観光協会.
  • 丸島和洋(2015)『真田四代と信繁』平凡社.

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