香積山 天皇寺の来歴
宮城県中央部、船形山連峰の東麓に位置し、北の大松沢丘陵、南の黒川丘陵の両丘陵間に拓ける黒川郡大和町。町域の北部、東流する吉田川左岸に旧今村(現大和町吉岡)があり、吉岡宿上町南方外れには、飯坂氏の菩提寺で、伊達政宗三男河内守宗清とその養母飯坂の局の墓が残る、香積山 天皇寺があります。
臨済宗妙心寺派、香積山と号す天皇寺は、正観世音菩薩を本尊とし、法燈円明国師の開山、政宗三男で飯坂氏を継いだ伊達河内守宗清の中興開基と伝え、古くは飯坂氏菩提寺として信夫郡上飯坂村にありましたが、同氏に従って移転を重ね、元和二年(1616)江戸期の宿場町である黒川郡吉岡の地に移りました。
伊達河内守宗清の墓
政宗三男河内守宗清は、母は六郷伊賀守娘で政宗側室の新造の方、慶長九年(1604)飯坂の局を養母とし、飯坂氏を継いで黒川郡を与えられ、松森、下草を経て、元和二年(1616)城下町吉岡を開府しました。寛永十一年(1634)後継ぎに恵まれずに三十五歳で病没。七人の殉死者と共に天皇寺に葬られました。
飯坂御前の墓
飯坂の局は、伊達氏庶流飯坂氏十四代、信夫郡飯坂城主飯坂宗康の次女で、永禄十二年(1569)生まれ、後に伊達政宗の側室となって米沢城に入り、飯坂の局と称されました。伊達氏の移封の際に松森、後に下草、吉岡へと移り、寛永十一年(1634)六十六歳で死去。宗清が眠る菩提寺、天皇寺に葬られました。
関連記事
香積山 天皇寺へのアクセス
- 〒981-3621 宮城県黒川郡大和町吉岡天皇寺184−20
- 東北自動車道「大和IC」より車で6分
- 地下鉄南北線「泉中央駅」より車で21分
参考文献
- 宮城県寺院総覧編纂会編(1975)『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会/山形.
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
- 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.