丸山館跡(照井城跡)の来歴
丸山館跡(照井城跡)
承安年間に、平泉の藤原秀衡の家臣照井太郎高直が築いた城で、文治5年(1189年)の源頼朝の藤原氏討伐の際に、頼朝の家臣仁田四郎忠常に攻め落とされ高直は討死した。天文5年(1536年)には、大崎義直に反乱を起して岩手沢城に立てこもった新田頼遠を、義直と伊達稙宗が2か月間この城を拠点にして攻めた。
天正19年(1591年)に、伊達政宗が岩出山に移ってきた際に改築して東御所と称し、政宗の母の居城としたが政宗が仙台に移った後は廃城となった。
ここは、小館、中館、菱館、大館、空館が、東西に並んでいる連郭式の中世の城跡である。
岩出山町教育委員会
『現地案内板』より
岩出山大観:一名・玉造郡誌
岩出山町と名所旧跡
其他の名所旧跡 (中略)下ノ目は照井太郎高直の居跡なり同所に古塁あり義隆滅亡の後政宗岩出山城に在りし時母公保春院殿の居所なり、東御所と称す。
『岩出山大観:一名・玉造郡誌』
丸山館跡(照井城跡)へのアクセス
- 〒989-6412 宮城県大崎市岩出山下野目南山
- 陸羽東線「西大崎駅」より車で8分
- 東北自動車道「古川IC」より車で15分
- 「聖心会 大崎太陽の村」北側裏手に案内板あり