ローダーイメージ
Night Mode Night Mode
Day Mode Day Mode

白子神社

歴代領主から崇敬されてきた「明神堂」とも称される古社で、米沢城の三の丸外郭に位置する境内では、米沢時代の伊達輝宗・政宗によって繁く能楽が催された。

白子神社の来歴

伊達輝宗日記

天正二年四月四日条

四日、天き上々、明神まへにてのふ候、一はくらくてん、二につねまさ、三江口、四しやり、五松風、六とうせん、七にかきつはた、八もみちかり、大もりより、八丁目昨日三日のつとり候との到来、

『米沢市史 資料篇1(古代・中世史料)』

伊達天正日記

天正十五年五月廿八日条

廿八日

天氣吉、暮ニ雨降、
明神堂へ御出、ふかミニ御
能させられ候、わき能なにハ、
二忠則、三熊野、四
ごのようきひ、五あたか
〈中ハれよりセう〳〵被下候、小袖にて〉
六道成寺、七遊ぢねんこぢ、

八長良、九遊行柳、
十ぜかい、この通御能
御座候、又こたきへ
ひつけ参候を一人
打申参候、朝ニこ
すけより遠蔵・
かたかゝ三人打参候、
晝比小成田三人うたセ
被参候、

『伊達天正日記 天正十五年』

貞山公治家記録

天正十五年五月廿八日条

◯廿八日丙辰天気好暮ニ雨フル今日明神堂へ御出深見ニ能ヲ仰付ラル難波忠則熊野楊貴妃安宅道成寺自然居士張良遊行柳是界以上十番アリ深見等ニ御小袖ヲ賜フ◯今朝小菅ヨリ遠藤内蔵助片平加賀麗帰リ盗賊三人討捕リ昼比窪田ヨリ小成田総右衛門帰リ是亦盗賊三人討捕ノ由言上ス

『伊達家治家記録 第1』

白子神社へのアクセス

  • 〒992-0051 山形県米沢市城北2丁目3−25
  • JR米坂線「西米沢駅」より徒歩23分
  • 東北中央自動車道「米沢中央IC」より車で7分

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

書き出しに戻る
Close