成島八幡神社 / 成島館跡

長井、伊達、上杉氏ら、歴代領主の厚い崇敬を受けてきた神社で、置賜の領主変遷を示す四十四枚の棟札が現存する。

成島八幡神社の来歴

山形県南東部、米沢盆地の南端最上川上流松川と大樽川の扇状地に位置する米沢市。市域北西部、北流する鬼面川左岸に旧置賜郡成島村(現米沢市広幡町成島・舘山矢子町)があり、石切山の北東麓には、古来より長井、伊達、上杉氏ら、代々の領主が相次いで厚く崇敬してきたという成島八幡神社があります。

成島八幡神社は、縁起によれば宝亀八年(777)の創建と伝え、大同二年(807)坂上田村麻呂が再建、康平六年(1063)前九年の役で源頼義が、永保元年(1081)には後三年の役で源義家が其々戦勝を祈願したとの伝承を持ち、鎌倉時代には置賜郡一帯を領した地頭長井氏が崇敬、宝殿や長居を修理しています。

置賜が伊達氏の領有下に入ると、永徳三年(1383)宗遠が拝殿、明徳元年(1390)大膳大夫政宗が神殿を造立、親子二代続けて八幡宮の造営に関与しました。この他、成宗が神殿造立、尚宗が遷宮し、天文二十二年(1553)晴宗、元亀四年(1573)輝宗、天正十六年(1588)政宗がそれぞれ宝殿を修造しました。

伊達政宗は岩出山移封に際し、随伴した別当龍宝寺の進言により成島八幡を分霊、後に仙台城下に成島八幡と当地の八幡を合祀、大崎八幡宮を造営しました。江戸時代も上杉氏の崇敬厚く、元和七年(1621)初代藩主上杉景勝が宝殿を修造、承応三年(1654)三代藩主綱勝によって現在の本殿が造営されました。

成島八幡の境内を含む一帯は標高二七七㍍の舌状台地先端部に構えられた方形単郭式の成島館跡で、北西側に鉤型の土塁と堀を持ち、その北側の堀内部に小規模な土塁を設置して二重堀を形成、西側中央には桝形虎口が配されてます。これらの遺構は神社守護のため、徐々に追造、構築されたと考えられています。

なお、政宗の重臣として知られる片倉小十郎景綱は、弘治三年(1557)伊達家臣片倉景重の次男として誕生。父の景重は、はじめ神職女を娶り「米沢八幡宮ノ神主」と伝わるも、成島・安久津八幡には神官片倉家の記録・伝承が伝わっておらず、あるいはまた別の米沢八幡が存在したのかも不詳となっています。

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成島八幡神社 / 成島館跡へのアクセス

  • 〒992-0083 山形県米沢市広幡町成島1057
  • 米坂線「成島駅」より徒歩23分
  • 東北中央自動車道「米沢中央IC」より車で12分

参考文献

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1981)『角川日本地名大辞典6 山形県』角川書店.
  • 長井政太郎 編(1990)『日本歴史地名体系6 山形県の地名』平凡社.
  • 山形県教育委員会編(1995)『山形県中世城館遺跡調査報告書 第1集(置賜地域)』山形県教育委員会.
  • 米沢市史編さん委員会編(1997)『米沢市史 第一巻(原始・古代・中世編)』米沢市.
  • 米沢市史編さん委員会編(1991)『米沢市史 第二巻 近世編1』米沢市.

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