文治五年(1189)源頼朝軍と奥州藤原氏の戦いの舞台となった阿津賀志山から北へ約一〇㌖、現在の白石市大平中目に泰衡館がありました。泰衡館は周囲との比高約二八㍍の丘陵に構えられた平山城で、丘陵頂部の平坦部一隅には太平神社が鎮座し、現在でも腰郭や土塁が残されています。






泰衡(たいへい)館は、頼朝の平泉征伐の際に藤原泰衡が居住したとされ、泰衡の音と訓に因んで「たいへい」と呼ばれるようになり、地名・館名の由来になったと伝わります。後に頼朝の御家人・結城七郎朝光の居城となり、降って戦国時代には、伊達家臣・中目日向が同村の赤館に移るまで居城としました。







泰衡館跡(太平館跡)へのアクセス
- 〒989-0216 宮城県白石市大平中目字太平山
- 東北本線「白石駅」より車で13分
- 東北自動車道「白石IC」より車で13分
奥州の名家である伊達家に生まれた政宗は、18歳にして家督を相続。会津に覇を唱えた蘆名氏を滅ぼし、南奥の諸家を従えるも、領土拡大は秀吉の天下統一の前に挫折する。その後、豊臣、徳川に従うが、たびたび謀反の噂が立ち、後半生も平穏ではなかった。膨大に残された書状から、天下人への「野望」と「忠誠」がせめぎ合う生涯をひも解く。伊達氏研究の新鋭による、これまでにない政宗評伝。
¥1,320 (2023/01/05 00:24時点 | Amazon調べ)



