町指定史跡 濱田伊豆景隆の墓の来歴
宮城県西北部に位置し、大崎地方に属する旧柳沢村(現在の加美郡加美町柳沢)。鳴瀬川の支流、田川の南岸に桧葉野屋敷(ひばのやしき)の集落があり、現在宮崎中学校が建つ田園地帯の一角に、伊達政宗に仕え宮崎城合戦で戦死した名臣、浜田伊豆景隆の墓が残されています。
天正十九年(1591)大崎一揆鎮圧のため、政宗の軍勢は大崎家臣・笠原民部の居城である宮崎城を攻撃。城は大崎氏の残党二千余が立て籠もっていましたが、二日間の激戦の末、落城します。この戦いで浜田伊豆は城中からの鉄砲で討ち死にし、遺言により甲冑姿で城の方向へ立ったまま埋葬されたといいます。
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濱田伊豆景隆の墓へのアクセス
- 〒981-4403 宮城県加美郡加美町柳沢桧葉野屋敷
- 陸羽東線「西古川駅」より車で21分
- 東北自動車道「古川IC」より車で30分