伊達上野介政景陣地跡の来歴
宮城県北部、迫川流域の平坦地に位置する旧栗原郡北方村(現登米市迫町佐沼・北方)。仙台領内北部と仙台城下を結ぶ枢要の地であったこの地に、葛西大崎一揆で太守木村吉清らが籠城した佐沼城(別称、鹿ヶ城)があり、城から東へ八〇〇㍍の地点には、佐沼城へ進軍する際に使われた伊達(留守)政景の陣地跡が残されています。




天正十九年(1591)葛西大崎一揆討伐の命を受けた政宗の軍勢は、木村吉清が出たあと一揆勢が立て籠もった佐沼城を包囲。政宗の叔父で留守家を嗣いだ伊達(留守)政景の陣は、記録によれば「伊達上野介政景陣場は瀬川の城東方」とあり、当時まだこの付近には大念寺があって、兵糧山と同様に伊達軍の炊事場だったと伝えられています。





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伊達上野介政景陣地跡へのアクセス
- 〒987-0511 宮城県登米市迫町佐沼梅ノ木3丁目7
- 東北本線「新田駅」より車で14分
- 東北自動車道「築館IC」より車で24分