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少林山 保春院

仙台藩祖伊達政宗が、生母保春院の菩提を弔うため、十三回忌にあたる寛永十二年、覚範寺四世清岳宗拙和尚を開山として創建した。

少林山 保春院の来歴

仙台城下町のひとつで、陸奥国分寺に至る木ノ下二十四坊通の一筋南の通り「椌木通」南方に位置する旧保春院前丁(現若林区保春院前丁)。その東西に大部分が寺屋敷であった東新丁・西新丁があり、両町に挟まれた敷地には、藩祖政宗が生母保春院殿の菩提のため建立した寺院、少林山 保春院があります。

元和九年(1623)七月十六日、政宗生母保春院義姫が亡くなると、亡骸は覚範寺において荼毘に付し、葬られました。享年七十六、諡号は虎哉宗乙禅師から授かった保春院殿花窓久栄尼大姉。同年八月五日、原野であった現在の永昌寺の地で葬礼が執り行われ、柩を焼却した跡には保春院の灰塚が祀られました。

寛永五年(1628)政宗は、保春院殿の七回忌に先達って少林山 保春院の建立を命じ、覚範寺四世清岳宗拙和尚を請じて開山としました。翌六年(1629)庫裡の造営が為されるも方丈は立ち遅れ、清岳和尚は覚範寺に居住していた為、同年七月十七日、俄かに假屋を建てて保春院殿七周忌の法要が営まれました。

寛永十二年(1635)には保春院殿の十三回忌が営まれ、翌十三年(1636)政宗最後の参勤となる前々日の四月十八日、予て造営を命じていた方丈が完成。祝儀として清岳和尚が政宗を饗応、その落成を祝いました。寺格一門格、寺禄百八十二石、堂塔伽藍は宏壮を極め、往時は仙臺七刹の一と称されていました。

宝永四年(1707)の大火で悉く灰燼に帰し、再建された堂宇は旧観には遠く及ばず、更に明治維新に至って荒廃を極めましたが、昭和八年(1933)三浦希玄和尚が再興に努め、現在の姿に至ります。境内には一山の鎮護として白山妙理大権現が祀られるほか、本堂には輝宗と保春院の位牌が今に残されています。

本尊

  • 聖観世音菩薩

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少林山 保春院へのアクセス

  • 〒984-0811 宮城県仙台市若林区保春院前丁50
  • JR「仙台駅」よりバスで「若林区役所前」下車、徒歩4分
  • 地下鉄東西線「薬師堂駅」より徒歩11分
  • 東北自動車道「仙台宮城IC」より車で17分
  • 仙台南部道路「長町IC」より車で10分

参考文献

  • 藩祖伊達政宗公顯彰會編(1938)『伊達政宗卿傳記史料』藩祖伊達政宗公顯彰會.
  • 仙臺市史編纂委員會編(1953)『仙臺市史7 別篇5』仙臺市役所.
  • 大場貞一編(1975)『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会.
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
  • 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
  • 石垣昭雄編(1987)『伊達政宗公ゆかりの寺院(仙台編その一)』宮城文化協会.
  • 吾妻信夫編(2018)『仙台藩を彩った異才たち』北山ガイドボランティア.

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