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市指定史跡 首壇

葛西大崎一揆の戦死者二千七百余人を葬った場所と伝わる塚。

市指定史跡 首壇の来歴

宮城県北部、迫川流域の平坦地に位置し、江戸期には亘理氏の城下町として栄えた登米市迫町佐沼。その市役所西方の高台に、葛西大崎一揆の戦死者二千七百余人を葬ったと伝える首壇があります。天正十八年(1590)、小田原攻めに参陣しなかった葛西・大崎氏の所領は没収され、当地は木村吉清に与えられました。

同年十一月、木村吉清の暴政に端を発し、葛西・大崎の旧家臣農民が蜂起、佐沼城を占領します。秀吉から一揆討伐の命を受けた伊達政宗は、翌年六月三十一将二万の大軍で佐沼城を攻め、七月一揆勢が籠る佐沼城は落城。捕らえられた将兵五百人余、女子供を含む農民約二千人が撫で斬りにされました。首壇はそのとき討ち取られた首を葬った場所と伝えられています。

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市指定史跡 首壇へのアクセス

  • 宮城県登米市迫町北方山ノ上
  • 東北本線「新田駅」より車で15分
  • 東北自動車道「築館IC」より車で24分

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