奥州探題畠山氏居城、霞ヶ城跡。

福島県北部、中通り地方の中央北部に位置し、地内を阿武隈川が北流し、安達太良山の東嶺と阿武隈山系西斜面の西縁部にまたがる二本松市。その市街地の北西、北、西、南の三方を丘陵で囲まれる標高345mの白旗ヶ峰に、応永廿一年(1414)畠山満泰が築城したと伝わる二本松城があります。

天正十三年(1585)畠山義継が輝宗を拉致し、追撃した伊達勢によって両名相果てるという粟ノ巣の変が起こります。畠山氏重臣らは国王丸を擁して立て籠もり、政宗の執拗な攻撃を退けたものの、相馬義胤の調停により降伏することとし、国王丸は自ら火を放ち会津へ逃れ、ここに畠山氏は滅亡となりました。

天正十四年(1586)八月、伊達政宗は片倉小十郎景綱を二本松城番に命じ、九月に西安達の知行割を行わせますが、同十三日、景綱は大森城に移り、代わって大森城主伊達成実が二本松城に入りました。四年後、豊臣秀吉は奥州仕置を断行、浅野長政、蒲生氏郷、徳川家康、豊臣秀次らが相次いで入城しました。

政宗に代わって蒲生氏郷が会津に入ると、二本松は会津領となり、のちに上杉、再蒲生、加藤氏と続き、寛永二十年には保科正之が会津に入るとともに相馬義胤が二本松在番として会津から独立。同年七月、二本松藩主として丹羽氏が入城。以後、丹羽氏の居城となり、やがて戊辰戦争を迎えることになります。

国指定史跡 二本松城跡へのアクセス

  • 〒964-0904 福島県二本松市郭内
  • 東北本線「二本松駅」から車で12分
  • 東北自動車道「二本松IC」から車で9分