稲荷山 妙心院の来歴
仙台城下町のひとつで、連坊小路の北側、八塚と呼ばれた地に、北西の寺小路から寺院を移したのがその名の由来という広大な寺屋敷地、旧新寺小路(現若林区新寺・二軒茶屋ほか)。その小路の南裏には、伊達輝宗嫡男梵天丸の傅育にあたった片倉喜多の位牌寺、稲荷山 妙心院があります。
天正十四年(1586)、人取橋の戦いで鬼庭良直が討死した翌年、伊達氏十六世輝宗夫人義姫は、嫡男梵天丸の傅育に励み、深く仏門に帰依して「安窓妙心禅尼」の法号を持つ喜多のため、出羽国置賜郡長井荘に、法号を寺名とする一宇、稲荷山 妙心院を建立しました。
妙心院は、伊達氏とともに会津、岩出山へと移り、政宗の仙台妙心院開基にあたり、喜多の護持仏聖観音像を本尊とし、喜多をその開基としました。慶長十五年(1610)喜多は七十二歳の天寿をもって没し、政宗はその霊牌を妙心院に安置、妙心院殿安窓妙心大姉と法諡して、後世を弔いました。
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片倉喜多の墓
稲荷山 妙心院へのアクセス
- 〒984-0051 宮城県仙台市若林区新寺4丁目1−18
- JR「仙台駅」より徒歩15分
- 地下鉄東西線「連坊駅」より徒歩8分
- 東北自動車道「仙台宮城IC」より車で15分