畠山義継と伊達輝宗両雄が相果て御生害場と呼ばれた古戦場跡
福島県中通り北部、阿武隈川東岸の低い丘陵性の山地にあり、小浜と二本松を結ぶ高田渡と云う渡し船場があった旧平石村(現二本松市沖、平石高田ほか)。阿武隈川河畔の高田から小浜方面へ向かうと粟ノ須と云う地域があり、かつて御生害場と呼ばれた処には、畠山義継と伊達輝宗が相果てた粟ノ巣古戦場跡があります。
天正十三年(1585)畠山義継は、塩松を支配下においた伊達政宗と講和するため、輝宗が在陣した宮森城(小浜上館)を訪れました。しかし流言に惑わされた義継は輝宗を拉致し、二本松へ引き上げようとするも粟ノ須〜高田近辺で輝宗諸共討死となりました。これにより翌年の二本松城の落城、畠山家滅亡の引き金となりました。
義継・輝宗両雄が相果てた此処はかつて御生害場と云われ、旧二本松〜小浜街道沿いの荒地には、昭和年代まで目印となる老松があったと云います。のちの道路拡張による改修、赤井沢妙見御堂付近にあった義継公主従二十三騎等の塚の移設、平成十一年集中豪雨被害の改修工事を経て、現在の姿となりました。
粟ノ巣古戦場跡へのアクセス
- 〒964-0955 福島県二本松市沖1丁目
- 東北本線「二本松駅」から車で10分
- 東北自動車道「二本松IC」から車で9分
兵庫県宍粟市一宮生栖梶原大歳神社登記簿に平石地名ありますが、二本松市と関係ある資料あれば、教えて頂くと幸いです。
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