旅立稲荷神社の来歴
仙台城下南東端に接し、豊富で良質な清水が湧き出ていたのがその由来と伝える旧宮城郡小泉村(現若林区南小泉ほか)。村域西端、仙台城下入口の広瀬川を臨む位置に旧五軒茶屋があり、その少し下流左岸、かつてネギ洗いと呼ばれた堤防沿いには、人々に旅立さんとも呼ばれてきた旅立稲荷神社があります。
旅立稲荷神社は、永保年間(1081-1083)の創祀、或いは永禄年間(1558-1570)伏見稲荷神社から分霊を勧請したのが始まりとも伝え、天正年間(1573-1592)三輪・浅間の二社を遷座、本山派修験善明院が別当となり、明治三年(1870)保食神社に、更に昭和三十四年(1959)旅立稲荷神社と改称されました。
旅立の名は、藩祖伊達政宗が仙台に移り初めての出府の際、五軒茶屋で休憩し、ここに代参を遣わして道中安全を祈願したされ、帰国後「旅立明神」の社号を奉ったといいます。以来参勤の折、先駆が長町で休むと藩主は五軒茶屋の赤壁で休み、近侍は他の四軒で休憩、代参を遣わして参拝したと伝えられます。
宝物として、太刀一振、扁額『正一位旅立大明神(天保七年三月吉日伊達藤原宗充(登米館主)書・当町伊藤屋庄吉)』が伝えられ、境内には、仙台市の保存樹木で樹齢約二五〇年の「旅立稲荷神社のケヤキ」が聳えるほか、耳病平癒を願う人々が願を懸けたという耳開地蔵尊が三輪神社から遷座されています。
参考文献
- 仙臺市史編纂委員會編(1953)『仙臺市史 第7巻 別篇5』仙臺市役所.
- 宮城県神社庁編(1976)『宮城県神社名鑑』宮城県神社庁.
- 三原良吉編(1979)『広瀬川の歴史と伝説』宝文堂.
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
- 仙台市歴史民俗資料館(1983)『河原町と南材木町周辺の民俗』仙台市歴史民俗資料館.
- 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
旅立稲荷神社へのアクセス
- 〒984-0826 宮城県仙台市若林区若林2丁目1−3
- 地下鉄南北線「長町一丁目駅」より徒歩8分
- 仙台南部道路「長町IC」より車で7分
- 県道54号線沿いの赤い鳥居脇に車数台分の駐車スペースあり