片倉喜多の墓の来歴
宮城県南端、白石川河岸段丘上にあり、中央部を白石川が東流する旧刈田郡蔵本村(現白石市福岡蔵本)。その村の東端に、慶長五年(1600)政宗による白石城攻略戦の際、片倉小十郎景綱が陣を敷いた愛宕山があり、現在滝の観音堂が建てられているその裏手には、政宗の養育係であった少納言片倉喜多の墓が残されています。
京への上洛中、政宗の勘気を被り国元での蟄居を命ぜられた喜多は、この滝の観音堂近くに庵を結んで読経三昧の日々を過ごし、慶長十五年(1610)に没しました。遺骸は小十郎により庵室裏手の丘に埋葬され、円同寺(後の傑山寺)を菩提寺としました。政宗もまた米沢にあった妙心院を仙台に再興、喜多の位牌寺とし、長年の功に報いました。
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片倉喜多の墓へのアクセス
- 〒989-0231 宮城県白石市福岡蔵本平屋敷
- 東北本線「白石駅」より車で7分
- 東北自動車道「白石IC」より車で8分
- 国道113号線(みちのくおとぎ街道)から田村家墓所へ向かうように左折すると、奥に数台分の駐車スペースがあり、喜多の墓へ降りることが可能