当午山 満勝寺の来歴
仙台城下町のひとつで、北山輪王寺門前から広瀬川左岸沿いの新坂に至る通であった旧新坂通(現青葉区柏木ほか)。その新坂通の西方に浄土宗大願寺があり、北八番丁から北に延びて大願寺門前に至る街路、大願寺横丁の東側には、伊達氏始祖朝宗の菩提寺として建立された古刹、当午山 満勝寺があります。
満勝寺は、弘安年間(1278-1288)伊達氏四世とされる政依が、旧伊達郡万正寺村(現桑折町万正寺)の曽祖父朝宗の廟所に一宇を草創して霊牌所とし、京都東福寺の仏智禅師を招いて開山としたのが始まりと伝え、その山号である「当午山」は、墓域が桑折西山城の午の方角に当たるのが由来とされています。
政依はそのほか産ヶ沢流域を中心に、光明寺、観音寺、興福寺、東昌寺を建立、それらは臨済宗伊達五山と称されました。降って伊達政宗による仙台築城後の元和三年(1617)北山東昌寺と光明寺の間に小庵を建立して満勝庵と号し、光明寺第十九世の古岫玄策和尚が仙台に於ける第一世として入山しました。
寛文七年(1667)第四世の愚渓圓才和尚が住持になると、四代藩主綱村から北八番丁の現在地を賜り、満勝寺十勝と称される広壮な堂塔を建立、五山第一位を誇りました。文化元年(1804)火災により堂塔伽藍は悉く焼失するも、本尊並びに満勝寺殿浄光念西大居士の霊牌、寺宝数点は被災を免れたといいます。
文化二年(1805)伊達家によって仮殿堂が再建され、明治維新後には藩主の外護を失って荒廃していましたが、昭和十年(1935)第十七世中興報酬智恩和尚によって現在の本堂並びに庫裡が再建されました。塔頭として持国院(初代念西牌所)と一得庵がありましたが、明治維新後にともに廃寺となっています。
本尊
- 聖観世音
寺宝
- 満勝寺殿朝宗画像(吉村筆)
- 涅槃画像(東洋筆)
- 出山釈迦画像(東洋筆)
- 頼朝位牌
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当午山 満勝寺へのアクセス
- 〒981-0933 宮城県仙台市青葉区柏木3丁目5−13
- 仙山線「北山駅」より徒歩13分
- 地下鉄南北線「北四番町駅」より徒歩22分
- 東北自動車道「仙台宮城IC」より車で12分
参考文献
- 仙臺市史編纂委員會編(1953)『仙臺市史7 別篇5』仙臺市役所.
- 大場貞一編(1975)『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会.
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1981)『角川日本地名大辞典7 福島県』角川書店.
- 石垣昭雄編(1987)『伊達政宗公ゆかりの寺院(仙台編その一)』宮城文化協会.
- 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
- 庄司吉之助・小林清治・誉田宏編(1993)『日本歴史地名体系7 福島県の地名』平凡社.
- 桑折町史編纂委員会編(2002)『桑折町史 第1巻 通史編Ⅰ 原始・古代・中世・近世(1)』桑折町史出版委員会.
- 桑折町史編纂委員会編(1998)『桑折町史 第4巻 資料編Ⅰ 考古資料・文化史料』桑折町史出版委員会.
- 八幡地区まちづくり協議会編(2007)『杜の散歩道 仙台市北西部散策ガイド』大崎八幡宮.
- 吾妻信夫編(2018)『仙台藩を彩った異才たち』北山ガイドボランティア.