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亀岡文殊堂/松高山 大聖寺

日本三文殊のひとつで、政宗の誕生にまつわる伝説が残り、岩出山移封の折には資福寺の梵鐘が奉納された。

大聖寺文殊堂の来歴

山形県南東部、米沢盆地の東縁に位置する東置賜郡高畠町。町域のほぼ中央、文殊山の西麓に、古くは文殊寺村と称されていた旧置賜郡亀岡村(現高畠町亀岡)があり、その古杉老松に囲まれた文殊山の中腹には、古名を文殊寺といい、日本三文殊のひとつに数えられる大聖寺文殊堂(亀岡文殊堂)があります。

真言宗智山派に属し、松高山と号す大聖寺の俗称でもある亀岡文殊は、大同二年(807)法相宗の高僧徳一上人の開山と伝え、文殊堂に祀る中国から伝来の秘仏文殊菩薩像は、往古より知恵の文殊、生き文殊と称され、近郷近在のほか、最上郡や信達二郡、さらには越後からの参拝者も絶えなかったといいます。

永禄十年(1567)八月三日、米沢城に生まれた伊達政宗と文殊堂にまつわる伝説として、「嫡男誕生を願う義姫が、長井荘亀岡文殊堂の側に住居する有験の僧長海上人に命じて湯殿山に祈願せしめ、御神体の湯に浸した幣束を御寝所の屋根に安置することを持って懐妊した」と、性山公治家記録は記します。

大聖寺の鐘楼堂に掛かっていた梵鐘は、伊達氏の帰依寺で領内随一の大寺院であった夏刈の資福寺に掲げられていたもので、天正十九年(1591)伊達政宗岩出山移封の折に亀岡文殊に奉納されたものでしたが、昭和二十六年に惜しくも鋳潰され、現在は復元されたものが本坊大門傍らの鐘楼堂に祀ってあります。

慶長六年(1601)会津から移封を命じられた上杉氏は三〇万石で米沢に入部。翌年、直江兼続は何故の余裕か、側近雅友二十余人と亀岡文殊堂に参詣し、詩歌百首を奉納しました。兼続をはじめ、前田慶次、大国実頼らが詠んだ詩歌は「亀岡文殊堂奉納詩歌百首」として現存し、町の指定文化財となっています。

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亀岡文殊堂/松高山 大聖寺へのアクセス

  • 〒992-0321 山形県東置賜郡高畠町大字亀岡4028−1
  • 奥羽本線「高畠駅」より車で10分
  • 東北中央自動車道「南陽高畠IC」より車で12分

参考文献

  • 東置賜郡教育会編(1939)『東置賜郡史 下巻』東置賜郡教育会.
  • 高畠町史編集委員会編(1972)『高畠町史 上巻』高畠町.
  • 高畠町史編集委員会編(1976)『高畠町史 中巻』高畠町.
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1981)『角川日本地名大辞典6 山形県』角川書店.
  • 長井政太郎 編(1990)『日本歴史地名体系6 山形県の地名』平凡社.
  • 山形県教育委員会編(1995)『山形県中世城館遺跡調査報告書 第1集(置賜地域)』山形県教育委員会.

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