高倉氏の居城で、伊達氏対南奥連合軍との戦いに備えた境目の山城

福島県中通り中部、郡山盆地の中央部に位置し、古くから交通の要衝であった郡山市。阿武隈川の支流五百川下流南岸に旧安積郡高倉村(現郡山市日和田町高倉)があり、南北に続く急峻な独立丘陵高倉山の北端部には、二本松城主畠山氏一族高倉氏の居城で、松峰城とも称される高倉城跡があります。

本郭の中心部は長径約七〇㍍、短径約四〇㍍の楕円形で、その周囲には階段状に四重の帯郭が巡らされており、全体としては長径約二五〇㍍、短径約一五〇㍍の規模の郭となります。本郭との間を幅広い空堀で仕切られた南郭は、一辺が約一〇〇㍍の方形状で、東側から階段城に区画された西高東低状の地形をなし、周囲には帯郭が巡らされています。

天正十三年(1586)伊達政宗と佐竹義重を盟主とした南奥連合軍との人取橋合戦において、連合軍は苗代田、前田沢、高倉より三手となって北上。高倉氏詮が守る高倉城は要害の地であるため、岩城常隆、石川昭光、白川義親、佐竹、二階堂氏などの大兵が差し向けられ、対する政宗は伊東肥前、富塚近江、桑折摂津らを援軍として遣わし、一帯では壮絶な迎撃戦が展開されました。

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高倉城跡(松峰城跡)へのアクセス

  • 〒963-0531 福島県郡山市日和田町高倉舘東
  • 東北本線「五百川駅」から車で11分
  • 東北自動車道「本宮IC」から車で13分
  • 新大手口である西麓の「高生山 山清寺」入口に標柱があり、境内奥に案内板と登城路あり
  • 旧大手口である東麓の「字御井戸」からも登城可能
  • 搦手口である北麓の「鹿島神社」からも登城可能