高倉城跡

郡山市

二本松畠山氏一族高倉氏の居城で、人取橋の戦いでは伊達方の軍事拠点となった

福島県中部、郡山盆地の中央に位置し、阿武隈あぶくま川左岸の段丘上に発展してきた郡山市。市域北部、阿武隈川とその支流五百川の合流点南岸に旧安積あさか郡高倉村(現郡山市日和田町高倉)があり、南北に続く急峻な独立丘陵北端部には、二本松畠山氏一族高倉氏の居城跡で、松峰城とも称された高倉城があります。

高倉城は比高約一〇〇㍍の高倉山に築かれた山城で、本郭の中心部は長径約七〇㍍、短径約四〇㍍の楕円形をなし、周囲には階段状に四重の帯郭が巡らされていました。本郭との間を幅広い空堀で仕切られた南郭は、東側から階段城に区画された西高東低状の地形で、周囲には帯郭と腰郭が巡らされていました。

二本松畠山満泰みつやすの子満盛みつもりを祖とする高倉氏は、在郷の地をもって姓とし、初代政泰まさやす、二代満国みつくに、三代実詮さねあきら、四代晴賢はるかた、五代氏詮うじあきらまで、安積郡高倉の地に住しました。天正四年(1576)頃に田村氏方となるも後に離反したため、天正十年(1582)田村清顕から攻撃され、城主氏詮は畠山義継らとこれを撃退しました。

天正十三年(1586)人取橋の戦いでは伊達方に属し、政宗より援軍として遣わされた伊東肥前、富塚近江、桑折摂津らと共に、岩城常隆、石川昭光、白川義親、佐竹、二階堂氏など、北上する連合軍と壮絶な迎撃戦が展開されました。天正十八年(1590)蒲生氏の会津移封により高倉氏は退去し、廃城となりました。

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高倉城跡へのアクセス

  • 〒963-0531 福島県郡山市日和田町高倉舘東
  • 東北本線「五百川駅」から車で11分
  • 東北自動車道「本宮IC」から車で13分
  • 新大手口である西麓の「高生山 山清寺」入口に標柱があり、境内奥に案内板と登城路あり

Reference Materials

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編(1981)『角川日本地名大辞典7 福島県』角川書店.
  • 庄司吉之助・小林清治・誉田宏 編(1993)『日本歴史地名体系7 福島県の地名』平凡社.
  • 本宮町史編纂委員会 編(2002)『本宮町史 第1巻 通史編1 原始・古代・中世』本宮町.
  • 本宮町史編纂委員会 編(1999)『本宮町史 第4巻 資料編1 考古・古代・中世』本宮町.
  • 福島県教育委員会 編(1988)『福島県の中世城館跡』福島県教育委員会.
  • 垣内和孝(2015)『歴春ブックレット安積2 郡山の城館』歴史春秋社.

直江兼続と関ヶ原

公益財団法人 福島県文化振興財団 編

kenc0224

南奥羽の名所旧跡を悠々閑々と訪ね歩き、物見遊山に日を暮らす掃苔家で巡拝家、偶に登城家なブロガー。掻い撫での道楽なため歴史は苦手。大河は、独眼竜政宗、炎立つ、八重の桜(会津編)、真田丸がお気に入り。雨降りの日は籠居して、家紋の図案を物します。

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