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慈雲山 資福寺

元亀三年、伊達輝宗が美濃から虎哉宗乙を招いて中興開山、伊達氏の移封とともに岩出山、仙台谷地小路を経て北山に移り、現在は紫陽花寺として広く親しまれている。

慈雲山 資福寺の来歴

仙台城下町のひとつで、伊勢堂山の東から堤町の鹿島崎に連なる丘陵南麓の寺町、旧北山町(現青葉区北山ほか)。町域の東部、木町通突き当たりに輝宗公菩提寺の覚範寺があり、寺域西隣には、輝宗が美濃から虎哉宗乙を招いて中興開山とし、臨済宗妙心寺派として再興された寺院、慈雲山 資福寺があります。

資福寺は、弘安年中(1278-1288)長井氏三代時秀入道西規が、越後・出羽・陸奥の交通の要衝に当たる屋代庄夏狩郷(東置賜郡高畠町夏茂)に禅寺を創建せんと鎌倉建長寺の大休正念(仏源禅師)の高弟紹規(義翁紹仁)を招いて建立したと伝え、紹規は師を尊んで、大休正念を開山としたといわれています。

伊達氏の時代になると、大膳大夫政宗夫妻の墓が寺域に移され、持宗は比叡山仏師に観音像を刻ませ本尊としました。元亀三年(1572)輝宗は政宗の師として赤湯村東昌寺に寓居していた虎哉を招き資福寺を中興開山、三代義廣夫妻の菩提寺である伊達郡の観音寺と興福寺を吸収、菩提を弔うようになりました。

この時、観音寺と興福寺から観音像三十三体並びに義廣夫妻の霊牌が安置されたといいます。天正十三年(1585)十月八日、二本松畠山義継によって輝宗が非業の死を遂げると、翌九日小浜に移され、政宗は資福寺虎哉和尚を導師として信夫郡佐原村の寿徳寺で荼毘に付し、置賜郡夏刈村の資福寺に葬りました。

天正十九年(1591)政宗に従い岩出山に移り、慶長五年(1600)仙台開府に合わせて谷地小路(東七番丁)に、寛永十五年(1638)には現在の北山の地に移転しました。往時の堂塔伽藍は広壮なもので、伊達氏三代義廣の霊廟として塔頭の長昌庵も建てられていましたが、明治維新後焼失、廃寺となっています。

資福寺の観音堂は、二代藩主忠宗の灰塚があった定光寺から遷座されたもので、藤原秀衡の三男和泉三郎忠衡の守本尊と伝わる聖観音が安置され、仙台三十三観音第三番札所となっています。また、境内には「資福寺のこうようざん」「資福寺の七香木蓮」等も植栽され、仙台市の保存樹木に指定されています。

天正十三年(1585)九月二日付資福寺宛伊達政宗書状

一資福寺虎哉和尚江被遣候御書写

幸便之条、令啓之候、抑去廿四日、於当表合戦候」而、敵数多討捕、号小手森候地、二之構迄取敗、」無近年手際ニ候つ、同廿六日小手森へ及近陳、次」同廿七日、一身之以見当則責敗、為城主始、大備」親類之面々、其外男女共ニ無残為討、以上八百人」計討捕候、其以威光、同日ニ五六ヶ所落城、又者」廿九日当口槻館自落居ニ候、即時ニ乗入、爰元ニ」在馬候、尚珍敷義於出来ニ者、可申越候、恐々謹言、

  (天正十三年)
   九月二日 政宗御書判
    資福寺へ

右、資福寺所持、元禄八年十月八日御拝見、被返」下之、御記録江摘載之、

『仙台市史 資料篇10 伊達政宗文書1』

天正十六年(1588)潤五月廿一日付資福寺宛伊達政宗書状

度々御音通弥不斜候、仍如来意之、去」□六日、号小手森、自身虎口へ乗懸、無二ニ責」候之条、一刻之内ニ取敗、数多討捕、同十七日、」号大倉之地、及調儀、町構取敷、緊扱候間、」頻而懇望候条、次日十八日令赦免、其日ニ号」石沢及動、取詰、其夜懸野陣候故、月山・」百目木・石沢・中山一夜ニ自落、所々ニ而、数」多討捕候キ、十九日未明ニ、義胤船引之地、」裸之躰ニ而、本道者、当手之人衆取切候条、」深山ニ相伝、相馬へ被逃候、此口五日之内ニ、」如此隙明候、満足可為御同意候事候、」期来音候、
恐々謹言

(奥上追書)
追而、」義胤末代訖之」不足、此度ニ候、」愚之満足」不可過之候、併不討留、」無念之至候、以上、

 (天正十六年)
  潤五月廿一日 政宗(花押)
    資福寺(虎哉宗乙)

『仙台市史 資料篇13 伊達政宗文書4』

伊達天正日記

天正十五年(1587)一月条

十九日

一、御礼衆大枝殿・資福寺いんしゆ・光明寺御参候、亦夜的被遊候、其後御あいての□□ニ鷹之きじ御振舞、御酒被下候、昼時分雪降申候、鹿皮十三まい、白石より参候、下関より鹿皮・あをしゝまるまゝ也、

天正十五年(1587)七月条

十四日

一、天気よし、昼比少かたち申候、夏刈御出候、御さうし様御同心御申候、御帰御東へ御出候、

天正十六年(1588)一月条

一 十七日、二本まつしゆを御たかやにて御しゆくたされ候、そのうへ五人御きるものをくたされ候、しゆふくち御まいりなされ候、しほのまつしゆ御めしいたしくたされ候、

天正十八年(1590)一月条

廿六日

天気よし、夜ニ入、御礼衆白河左近太夫殿・橋刑・あつミ内せん、其後荒井殿、其後四福寺、其後あつしいのちけんし、其後光明寺・かくはんし代僧・柳津当別当御入にて、御はくち御さ候、御あいて衆民部少輔・与一左衛門尉・かけゆひやう、

『伊達天正日記 天正十五年/戦国資料叢書 伊達史料集(下)』

性山公治家記録

元亀三年(1572)七月条

◯七月戊申大七日乙卯慈雲山資福禅寺新住寺虎哉(諱宗乙)和尚(後賜佛海慈雲禅師)入院セラル進山開堂ノ規式尤モ厳重ナリ山門佛殿開堂ノ法語等アリ(中略)

資福禅寺ハ羽州第一ノ甲刹ニシテ大休正念和尚 勅使佛源禅師ノ創開スル所ナリ禅師ハ異朝宋国永嘉郡ノ人ニシテ石溪心月ノ法嗣ナリ来朝シテ 本邦ノ一派ト為ル伝ハ元亨繹書東諸祖伝ニ見ヘタリ虎哉和尚氏ハ福地濃州方県郡ノ人妙心岐秀和尚ノ法嗣ナリ 公資福寺ヲ再興シ虎哉和尚ヲ招請シ給ヒ是ヨリ関山派トナリ其法流今尤モ多シ所著ノ法語頌偈詩文等斑虎集若干巻アリ

天正二年(1574)九月条

◯十六日丁亥田村左衛門左殿卒去ニ付テ諷経ノ御使僧トシテ資福寺虎哉和尚ヲ差遣シ御香奠鳥目五貫文贈進セラル

◯廿二日癸亥資福寺虎哉和尚三春ヨリ帰ラル

天正十三年(1585)十月条

◯天正十三年乙酉十月八日奥州安達郡高田原ニ於テ卒シ給フ御年四十二法名 性山受心大居士覚範寺殿ト号シ奉ル信夫郡佐原邑寿徳禅寺ニ於テ火葬シ羽州置賜郡長井荘夏刈邑慈雲山資福禅寺ニ御廟ヲ築テ御遺骨ヲ蔵メ奉ル資福寺虎哉和尚(諱宗乙後諡佛海慈雲禅師)導師タリ奠茶佛事寿徳寺昌室和尚(諱慶繁◯諸佛事役者法語等不伝)秉炬奠茶両法語左ニ載ス(中略)

資福禅寺ハ 本朝諸山禅刹ノ其一ナリ開山佛源禅師(字大休諱正念)宋国永嘉郡ノ人ニシテ蜀ノ眉山石渓心月禅師ノ法嗣ナリ文永六年ニ来 朝ス鎌倉五山ノ第四浄智禅寺ノ開山ナリ正応二年十一月月晦日示寂ト云云資福禅寺ヲ創開スルノ来由年月不知(中略)

殉死三人遠藤山城基信法名医国景蘊天正十三乙酉十月廿一日 覚範寺殿二七日ノ御弔辰ニ当テ殉死ス年五十四 覚範寺殿廟ノ側ニ葬ル内馬場右衛門(諱不知)法名撐月遼天須田伯耆(諱不知)入道道空法名保福紹敢(各殉死ノ年数墓所不知)◯天正十五年丁亥 政宗君 御父性山公ノ為ニ羽州置賜郡長井荘遠山邑ニ建テ給ヒテ遠山覚範禅寺ト号シ資福寺虎哉和尚ヲ請シテ開山トシ給フ寺内ニ医国院撐月庵保福庵ヲ建テ殉死三人ノ牌所トセラル

『伊達家治家記録 第一 性山公(輝宗)・貞山(政宗)公』

貞山公治家記録

天正十三年(1585)九月条

◯九月丙戌大二日己亥資福寺虎哉和尚ニ御書ヲ賜フ其趣去ル甘四日当表ニ於テ合戦敵数多討捕リ小手森二ノ構マテ取破ル近年無比類御手際ナリ同廿六日小手森ヘ御近陣翌廿七日御見当ヲ以テ攻敗リ城主ヲ始メ大内親類ノ面々其外男女共ニ悉ク斬殺シ以上八百人許リ討捕リ給フ其御威光ヲ以テ同日五六箇所落城ス去ル廿九日当地槻舘自落ニ付テ即時ニ乗入リ在馬シ給フ猶珍事出来セハ仰越サルヘキノ旨ヲ著サル(槻舘築舘同)

天正十三年(1585)十月条

◯九日丙子 公 御父君ノ讐ヲ復セン為メ早速二本松攻メ給フヘシト仰ラル老臣等先ツ御入馬吉日ヲ択ンテ御働然ルヘシト諫メ奉ル因テ今朝未明小浜ニ帰リ給フ◯此夜 受心君ノ尊骸ヲ小浜城ニ入奉ル終ニ信夫郡佐原村宝珠山寿徳禅寺ニ於テ火浴シ奉ル資福寺虎哉和尚(諱宗乙)道師ナリ 覚範寺殿ト号ス御遺骨ヲ羽州長井荘夏苅村慈雲山資福禅寺ニ葬リ給フ(日不知)

天正十四年(1586)七月条

◯十六日己酉二本松城本丸自焼シテ城主国王丸会津ニ奔ル城受取ノ義成実ニ命セラル成実彼地ヘ行キ本丸ニ仮屋ヲ建テ守居ラル◯此後(日不知)御使者ヲ資福寺ヘ差遣サレ二本松城没落御本意ヲ遂ケ玉フ旨 覚範寺殿御廟ニ告ケ奉ラル

◯此年 性山公ノ為メニ置賜郡長井荘遠山邑ニ伽藍ヲ創造セラル覚範禅寺ト号シ遠山ト称ス即チ資福寺前住虎哉和尚(諱宗乙)ヲ請シテ開山初祖トシテ住持セシム

天正十五年(1587)七月条

◯十四日辛丑天気好昼雷少鳴竺丸殿御同道夏刈資福寺ヘ御出覚範寺殿御廟ヘ御参詣御帰以後 御東ヘ御出

天正十八年(1590)正月条

◯廿六日己巳入夜年始御礼御目見アリ白川左近(諱不知)及ヒ橋本刑部顕徳熱海内膳(諱不知)荒井某(名諱不知)次ニ資福寺陽岩座元(諱宗純)光明寺大陰座元(諱恵方)并ニ覚範寺虎哉和尚(諱宗乙)代僧等アリ

慶長十九年(1614)正月条

◯四日丁巳朝焼火間ニ於テ御膳召上ラル御相伴高屋快菴小野宗碧錦織休意茂庭釆女兼綱松本左兵衛宗成ナリ◯諸寺院登城年頭ノ御礼申上ラル定禅寺永誉法印観喜院円誉法印成覚寺良湛上人善導寺祖伝上人同寺閑居某上人(字諱不知)放光院宥信法印光明院(字諱不知)国分寺学頭坊宥海法印同寺別当坊実永法印同寺院主坊宥養法印同寺衆徒中誓願寺実永法印覚範寺月叟和尚資福寺祝峯座元光明寺古曲座元等ナリ各献上物アリ◯一家一族并ニ御相伴ノ輩ニ御鷹ノ雉ヲ頒賜フ

元和八年(1622)正月条

◯八日乙巳瑞岩寺月叟和尚(諱玄良)覚範寺清嶽和尚(諱宗拙)資福寺祝峯座元(諱宗松)ヨリ板物一端充献上年始御礼申上ラル

寛永元年(1624)正月条

◯十五日庚午覚範寺清嶽和尚(諱宗拙)瑞岩寺月叟和尚(諱玄良)資福寺祝峯座元(諱宗松)ヨリ年始御祝儀トシテ板物一端充献上セラル

寛永十年(1633)二月条

◯十三日庚午資福寺祝峯座元ヘ饗応トシテ御出

『伊達家治家記録 第一 性山公(輝宗)・貞山(政宗)公』

寺社領御寄附御牒

資福寺

一 当寺者元来羽州屋代庄夏刈村有之、中古住持等或断絶、或寺僧役者中寄合持ニ罷成或戦国之時分知行御寄附之御判形等も致紛失明白成証拠ハ無之由申伝候、又前々より申伝ニ者

義広公御建立被成候観音堂有之処

政依公之御代資福寺御建立観音堂を以為仏殿、伽藍成就之後仏源禅師を以開山ニ被成候、仏源者鎌倉五山之内浄智寺之開山ニ而元来宋国之人、日本文永六年来朝正応二年十一月晦日遷化被致候、尓来天下名藍之図ニ被載之、長老等之官位致執行候、昔年者寺領百貫文程も御寄附有之様ニ申伝候、其時之観音之尊像者今米沢福泉寺ニ有之為本尊虎哉和尚住持之時分まて山門・仏殿・方丈・土地堂・祖師堂・開山塔者御座候与承候、寺之鐘今米沢長井庄文殊堂有之、永仁年中鋳之、永正十八年四月二日

稙宗公より屋代庄ささわの郷ニ而知行九貫文程之 御判形被下候、青木伊右衛門致所持候、其末之御文言ニ任本牒永代不可有相違候云々、以是見申候得者永正以前も代々寺領被下候与相見へ申候、弘治三年五月八日従

晴宗公御黒印被下候御文言ニ曰、自

無一軒可楽居士寄進之地伊貢庄おいかさきの郷西光寺分御知行之事永代不可有相違候、又如当御門前可為守護不入者也、仍証文如件、年号日付 御判形有之貫高ハ無之候、御加増之地与相見江申候、此 御判形近年永倉吉三郎所ゟ致所望候

輝宗公十貫文程之知行 御判形被下之由承及候、従

政宗公知行之 御判形御座候由承及候、此時者貫高不存候、七貫文ニ而可有之与存候、於当国ハ七貫文致所領候由申伝候、右二通之

御判形者

忠宗公之御代御座候哉被召上候由承伝候、尤年号日付御申次等不承伝候、寛永廿一年八月十四日於三ノ迫三田島村本地七貫文ニ二割出被相加八貫七百文之所、従

忠宗公御黒印被下候、其時之住持者祝峯ニ御座候、御申次者冨塚内蔵丞・奥山大学・山口内記・和田因幡以上四人之知行目録致所持候

御当代寛文元年十一月十六日右八貫七百文之所無相違 御黒印被下置候、此時住持者拙僧御申次者奥山大学・鴇田次右衛門・和田織部・木村久馬・内馬場蔵人以上五人之知行目録御座候、右寺領之内新田切添等少も無御座候、

以上

『仙台藩家臣録 付・寺社領御寄附御牒』

本尊

  • 釈迦如来坐像(高村光雲作)

仙台市保存樹木

  • 指定番号14「資福寺の七香木蓮」樹高3.8m、幹周1.7m、指定樹齢320年
  • 指定番号15「資福寺の五葉松」樹高12.5m、幹周1.3m、指定樹齢200年(欠番?)
  • 指定番号16「資福寺のこうようざん」樹高16.0m、幹周2.0m、指定樹齢200年

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慈雲山 資福寺へのアクセス

  • 〒981-0931 宮城県仙台市青葉区北山1−13−1
  • JR仙山線「北仙台駅」より徒歩14分
  • JR仙山線「北山駅」より徒歩18分
  • 地下鉄南北線「北四番丁駅」より徒歩22分
  • 東北自動車道「仙台宮城IC」より車で12分
  • JR東日本「仙台駅」よりタクシーで10分
  • 紫陽花の見頃は六月中旬から下旬ごろ
  • 本堂裏手に駐車場あり(紫陽花見頃の時期は近隣駐車場がお勧め)

参考文献

  • 藩租伊達政宗公顕彰会編(1938)『伊達家治家記録』藩租伊達政宗公顕彰会.
  • 仙臺市史編纂委員會編(1953)『仙臺市史7 別篇5』仙臺市役所.
  • 宮城県寺院総覧編纂会編(1975)『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会/山形.
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
  • 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
  • 石垣昭雄編(1987)『伊達政宗公ゆかりの寺院(仙台編その一)』宮城文化協会.
  • 仙台市史編さん委員会編(1994)『仙台市史 資料編10 伊達政宗文書1』仙台市.
  • 相原陽三編(1995)『元禄補遺 仙台藩家臣録 第6巻 付・寺社領御寄附御牒』東洋書院.
  • 伊達篤郎編(2001)『伊達政宗 教導の師 虎哉宗乙』伊達篤郎.
  • 仙台市史編さん委員会編(2007)『仙台市史 資料編13 伊達政宗文書4』仙台市.
  • 八幡地区まちづくり協議会編(2007)『杜の散歩道 仙台市北西部散策ガイド』大崎八幡宮.
  • 仙台市建設局百年の杜推進部百年の杜推進課編(2009)『杜の都の名木・古木 平成20年度版』仙台市建設局百年の杜推進部百年の杜推進課.
  • 吾妻信夫編(2014)『仙台藩の埋もれた遺臣たち』北山ガイドボランティア.

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